本教の批判者へ

之は常に感じている事であるが、本教の批判者の見方は甚だ不公平な憾みがある。何となれば本教が現在社会各層に対し、素晴しい救済的功績を挙げつつあるに拘はらず、その事は全然眼を蔽うているかのようだ。そうしておいて何か些かでも欠点がないかと眼を皿のようにしている態度で、偶々人の噂か又は反対者の悪口など耳に入るや待っていたとばかりにそれだけを採上げて一種の疑惑を起さしたり、大袈裟に宣伝する等で、実に解らない話である。

今世の中を見渡した時、独り宗教には限らないが、凡ゆるものに完全なものは一つもある訳がない。どんな立派なものでも必ず幾分かの欠陥はあるに決っている。然るに本教に於ては十のものとすれば、強いて欠陥を求むるも一か二位であろう。事程左様である事は本教の発展振りをみれば肯くであろう。

然るに本教が発展する土地に於て、医師、按摩を初め他の民間療法者等に自然影響を与える結果彼等は死活問題として凡ゆる手段を講ずる。其方法としてその土地の取締当局をはじめ、地方新聞や舌の宣伝等によって、極力本教に非難を浴せ、発展を阻止しようとする。

その場合先づ医療妨害的言葉を発したとか、被害を蒙り泣いている者があるとか、安寧秩序を紊す言を発したとか等の些末の事柄を針小棒大に誇張したり、馬鹿々々しい程の作り事等を交ぜて宣伝すると共に、当局に訴え取締りの必要を強調するのである。斯様な訳で全国的新聞にデマ的記事の載っていない日は殆んど無いといってもよかろう。勿論それが本教発展するにつれて増加するのは当然で変な言い方だが善事を行う事のむづかしさを常に痛感するのである。

吾等と雖も右の事実によって、今後本教が発展すればする程影響を蒙る人々も殖えるであろうし、全く衷心からお気の毒に感じ、同情に吝かではないが、吾等は神の意図を体し全人類の救済という尨大なる事業を遂行しつつある以上如何ともし難いのである。昔から大善は小悪を伴うというが全くその通りで、以前或人が言った言葉に「酒飲みがあるから国家の財源が保たれるのだ、全然禁酒するとしたら大蔵省の予算が立たないではないか」と言はれた事があるが、之と同様であろう。

右に対しそれ等反対者に言いたいのは最良なる手段は、本教の信者となり神霊療法を実行する事である。その効たるや医療とは格段の相違があるから、如何に多数の人命を救い感謝されるかは言う迄もない。最近某医学博士が本教に転向した後の告白によってみても明かである。

茲で今一つ重要事がある。それは本教が唱導する無肥料栽培であるが、年々肥毒が減少するに従って各地とも素晴しい成果を挙げつつある事実である。之が一般に知れ渡るに従って全国的に普及されるとすれば、肥料事業に及ぼす影響も亦甚大であろう事も、吾等は今から考慮を払っているのである。之等も言い換えれば肥料事業に影響する程であれば、無肥料栽培が如何に効果を挙げるかで、肥料代は零となり労力は著減されるから、其国益増進の効果は如何に大なるものであるか想像されるであろう。

以上の諸点に対し、当局に於ても本教の実態を充分調査の上善処されたい事を望むのである。

(光新聞三十四号 昭和二十四年十一月五日)