廿一日から行はれる、此度の大祭に就て、簡単にお話したいと思ふが、何しろ大勢の参拝者なので私の声では聞えそうもないと思ふから、言葉の代りに此原稿をかいたのである。
いつもいう通り、キリストは天国は近づけりといひ、釈尊はミロクの世が来ると言ったが、どちらも予言であって、御自身が造るとは言はれなかった。処が、私は右の予言を実現すべく、神様から委任せられたのであるから、全く予言者の予言通りの事を具体化し、證明するのである。故に必ずや地下ではない天上におられる二大聖者も、大いに満足されお喜びになる事と思うのである。
天国の模型
そうして、天国を作るとしても、何事もそうであるやうに、先づ最初其模型を作らなければならない。従而、此度出来上った此神仙郷こそ其模型であるから、其積りで充分見て貰ひたいのである。処が、二千数百年前釈尊の時代、極楽の模型を作った事がある。それが彼の祇園精舎や七堂伽藍多宝仏塔寺で、それを又小規模に聖徳太子が模したものが、彼の法隆寺であらう。太子も釈尊も双方皇太子であられたのも奇しき因縁である。然し何しろ右の如く釈尊の前身は皇太子であり、当時の人民は純朴であったから、釈尊の仏法を大いに信じ、当時の印度を風靡した事は勿論で、大多数の信徒は一致協力して作ったので、さぞ立派なものが作られたと思ふ。
処が、私などときては、本にもかいてある通り若い時分から貧乏人のチャキチャキで、大した学問もなく、後援者もなく、裸一貫苦労のし通しで、兎も角茲まで漕ぎつけたのであるから、並大抵ではなかった。全く奇蹟である。而も今日の世相は、当時の印度などとは比べものにはならない程、難しくなってゐる。御承知の如く、私なども十数年来官憲の圧迫や社会の無理解等の為、常に迫害妨害攻撃等は絶え間ない程である。其中を切り抜けるのであるから、仲々容易なものではない。悪い事をするのも骨が折れるだらうが、善い事をするのも実に骨が折れるのである。両極は相似たりといふが、全く其通りである。斯ういふ世の中であればこそ、大いに救ひの必要もある訳である。そうは言うものの私のやうな力のない人間が人類史上例のない程のドエライ事を目論むのであるから、馬鹿か気狂ひか、身の程知らずといってもよからう。然しいつも言ってる通り、私がやるんではない。全く神様が私を道具としてやられるのだから、チャンと巧く行くのである。といって第三者からみればそんな馬鹿な事が此世の中にあるもんかと言って、仲々信じられないであらうが、事実は何よりの證拠である。右の如き私の仕事をみれば到底人間業でない事を、信じない訳にはゆくまいと思ふのである。
奇蹟の連続
参拝者諸氏へ差上げた、“地上天国出来るまで”の中にもかいてある通り、此神仙郷を作るにしても実に奇蹟の連続である。之等は勿論小さな奇蹟であるが、モット大きな奇蹟もありすぎる位あるので話しをしたいが、今は言ふ訳にはゆかないが、追々時の進むにつれてお話する積りである。余り長くなるから、此辺で止めておくが、之を此大祭の御挨拶に換える事とする。
(地上天国十七号 昭和二十五年十月十五日)