一種の悲喜劇

この結核患者の経過を読んでみると、医療の余りに幼稚拙劣なる遠慮なくいえば、全然無力といっても差支えあるまい。この人は浄霊三カ月にして快癒し、医師の診断を受けた処、唖然として言葉も出ない程であったとの事で、標題の如く悲喜劇としたのである。故にこの一文を読んだだけでも医学と浄霊の優劣が分るであろう。

結核をお救い頂き医師も驚く

神奈川県 O・S

明主様、日々の御守護誠に有難うございます。自分の肺浸潤の御浄化御守護と入信の動機を後れ馳せながら御報告させて頂きます。

省みまするに昭和二五年九月一五日自分事海軍ベース(旧海軍工廠)に就職致す為に、レントゲン写真の結果左肺浸潤との診断にて横須賀市立保健所の診断にて肺は浸潤個所より、肺門に尾を引いているから悪性とのことにて気胸を致した方が良いと保健所にて言われましたが、自分には納得できずにおりました処、保健所にては、六カ月気胸を致すと仕事ができるとのことにて、昭和二六年一月一一日初めて気胸を始めました。

初めの一カ月は、週に二回の気胸にて、二カ月目より、一週一回となり、絶対安静にて二カ月位経ちますと食欲が無くなり、身体はだるく、顔色は悪くなり、生気は全く無くなりまして自分でもこの儘終りになるのではと思っておりました処、三月に入り、子供達は麻疹、百日咳となり一時どうなることかと思いましたが、子供達の病気にて自分も身体を少しずつ動かしておりますと食物もおいしく頂くことができましたので医者の安静をその時より中止して、家内の掃除の手伝いをし始め、身体を動かし体力をつけることに気を付けておりました。

待望の六カ月となりましたので、医者に「先生働いても良いですか」とききますと「Oさん、あんたの気胸は前肺下部癒着にて手術をしなければ」とのことにて、私は「先生それでは約束が違うではありませんか。六カ月にて働くことができるというのは嘘ですか」医者「あんたそんな無理を言うものではありません。今の処、この気胸が結核に一番良いとされているのです」私「先生、気胸では浸潤が全部無くなりますか」医者「気胸は病巣をちぢめて外に菌が出ないようにするだけ」とのことにて自分も諦め、これも天の試煉と思い命欲しさの為気胸を続けながら少しずつ働いておりました。

昭和二七年一〇月頃同じ職場に働いておりましたA様より、このお道のお話をききましたが、話が大層うますぎて本気にできずにおりました処、A様は『栄光』新聞、『結核信仰療法』をお貸し下され、教会にと言うので、今思うと誠に申訳ないことですが、入信しろとか言うのではないかと思いびくびくしながら、A様と昭和二八年二月一一日A様所属のN中教会Z支部にて、T支部長先生より御浄霊を頂き、色々とお道のお話を伺いました。そのお話の中に御先祖様をお祀り致すとのこと、又病気の原因を話されまして、自分も少し信ずることができました。A様より一週三回位お浄霊を頂き、教会には一週一回お浄霊に行きました。

三カ月のお浄霊にて国立病院にてレントゲンの結果医者「あなた就職の為にレントゲンを撮ったのですか」私「二カ年気胸をしたのですが、この三カ月休みましたので、その結果をみて貰いたいので来ました」医者「ウーム、不思議な位良くなっている。どういう療法を今までしましたか」私「救世教にて御浄霊をしていました」医者「尚一応共済会病院で断層写真を撮って来るように」とのことにて、気胸最後の医者の所に写真を持って行きお道の話をすると、医者「三カ月でこんなによくなったか。あなた救世教にて病気が治るということ言ってくれるな。一〇月頃に風邪でも引いたら又来て見せて下さい」私「宗教でもなんでも良い、病気さえ治して下されば信じます。又救世教のお守様を頂きますと、自分の病気処か、人様の病気も治すことができる素晴しい御力を頂かれます」と言ったら、「ハアー」と言って私の顔を見つめておられました。

昭和二八年五月二三日、N中教会Z支部にて、T支部長先生より御教修を受け無事、御守様を拝受致し、同年七月五日箱根御奉仕の御許しを頂き、無事に一カ月の御奉仕を終えさせて頂きまして、明主様誠に有難うございました。自分事、悪筆にて御守護の御礼を申し上げさせて頂きます。

(栄光二百五十一号 昭和二十九年三月十日)