病貧争絶無の世界は可能か

本教が唱える病貧争絶無の世界は、この世智辛い世の中に果して出来るであろうかと、今の人間誰しも疑わざるを得ないであろうが、これも尤も千万で、昔からそういう夢のような話は色々な宗教で唱えているだけで、到底実現の可能性はありそうもないので、そう思うのも無理はない。処が我救世教は断じて可能であることを、力強く主唱しているのである。その生きた実例として左の御蔭話を読めば、如何なる人でも信じない訳にはゆかないであろう。若しこれをしも信じられないとしたら、豚に真珠でしかあるまい、と曰われても文句は言えないであろう。とすれば人間の価値はなく、動物と同様になる理屈だが、実はこれも無理はない。今までは言葉だけで、地上天国などという御題目でしかなかったからである。処がここで従来の御題目を捨ててもいいことになった。それは先ず白紙になって左記の事実をそのまま受け入れられれば、それで直に天国の門に入る資格者となるからである。

主人の入信記

(本文省略)

(栄光百九十六号 昭和二十八年二月十八日)