名人の失くなった理由(一)

近頃目立って寂しくなったものに、芸能界と美術界がある。これについて先ず芸能界の方からかいてみるが、何といっても重立った歌舞伎俳優の失くなったことである。この面での名人は固より、重立った俳優でそれぞれの特徴を有っており、狂言によってはなくてはならない人達が、永遠に舞台から退いてしまったことであって、旧劇のフアンならざる吾々とても一抹の哀愁を感ずるのである。というように今日相当の年輩で芸の円熟した俳優は殆ど見られなくなってしまった。現在残っている人としたら吉右衛門、猿之助、三津五郎の三人位であるが、関西方面は知らないが同様であろうと思う。

しかも右三人の内、三津五郎は最早老齢で、後何年舞台に立てるかわからないであろうし、吉右衛門にしても病弱だから、この人もいつ倒れるかわからない有様である。ただ一人猿之助だけが頑健壮者を凌ぐものがあって心強くは思うが、この人だけでは一人相撲でどうにもならないのは勿論である。そうかといって現在の若手俳優にしても成程相当頭数もあり、将来性のある人も少なくはないが、まだ年も若いし、見応えある舞台は当分望めないであろうから、好劇家こそ寔に気の毒なものである。そうして歌舞伎劇は他の劇と異って相当年輩で貫禄のある俳優でないと、第一舞台が引締らないし、味も出ないから困るのである。

以上のような現状を、私の若い頃と比べてみると隔世の感というよりも、不思議とさえ思えるのである。何しろ私が二十歳頃の歌舞伎の舞台の素晴しさは、今でも忘れることは出来ない程で、彼の団、菊、左の三頭目は別としても、片市、八百蔵、松助、小団治、段四郎、訥子(トッシ)等々の中堅処から、若手では福助(後の歌右衛門)家橘(カキツ)(後の羽左衛門)染五郎(後の幸四郎)二代目左団次、勘弥等がいて実に多士済々たるものがあった。又音曲方面にも名人は中々あった。今でも忘れられないのは長唄の伊十郎、六左衛門(後の寒玉)のコンビで、舞台の浅黄幕を背にしてのアノ息もつけない大薩摩である。その他常磐津林中、清元延寿などの名人芸も時々憶い出すことがある。又新派俳優、落語、講談、浪曲、新内等もかけば限りがないから略すが、何といっても昔の名人位のレベルの人は、今日指を屈する程もなかろう。

以上芸能界についてのありのままをかいてみたのであるが、これは次に言おうとする一つの前提としたいからである。以上の通り中年過ぎて芸も円熟に達し、愈々これからという時になると、次々世を去るというのは実に不可解ではないか、これは誰しも気附くであろうが、その原因が不明な為諦めるより致し方ないのである。ところが私はその根本原因をハッキリ知った以上、ここにかくのであるが、それは何かというと、驚くなかれ現代医学が原因であるといったら何人も愕然とするであろう。

これについては先ず一例として、私の経験からかいてみるが、以前私が麹町に居た時のことである。当時女形(オヤマ)としては中々人気があった市川松蔦(ショウチョウ)という俳優であるが、この人の年は慥か三十幾歳位と覚えている。私の近所に住んでいた関係もあって時折治療に来たのである。というのは非常に肩の凝る人で、それを治す為であるが、偶々関西方面で興行中肺炎に罹ったので急遽帰京し、是非私に来てくれという依頼なので、私は早速行って見たところかなり重体であったが、よく訊いてみると、松竹の会社から毎日お医者が来て熱心に治療するとのことなので、私は困ったと思った。併しマサカ断れともいえないから、ただ注射と薬だけは絶対廃めなさい、それが出来なければお断りするより致し方ないと曰ったところ、大いに当惑した末、ではその通りに致しますからというので、私も毎日治療に行ったところ、数日ですっかり全快したのである。

そうしてその時の話によれば、自分達は一寸した病気でも、会社は直ぐに立派な博士をよこし、親切に手当をしてくれるので、今までは安心していたということなので、私は成程それだなと思ったので、それとなく注意は与えたが、間もなく私は玉川(今の宝山荘)へ移転してしまったので、遠方になった為かその後パッタリ来なくなったのである。ところがそれから数年後同優は病気で死んだという記事が新聞に出ていたので、さてこそと残念に思い、やはり運がなかったのだと思った。

これも以前記いたことがあったと思うが、歌舞伎俳優で女形になると、例外なく早死する事実で、これは古い人はよく知っているであろう。しかしこれについても立派に原因がある。何しろ年中重い鬘(カツラ)を被り通しなので、首肩が非常に凝り、其処へ度々浄化が起るので、発熱、咳嗽、喀痰も出るという訳で、医師は結核の初期と診断し、熱心に逆療法を施す結果斃れるのである。

以上によってみても、歌舞伎俳優が割合早死するのは全く医療の為ということがよくわかるであろう。ところがそんなことは夢にも思えない会社のこととて、不幸な人が出来てはならないと、益々医療に頼るのであるから全く恐しい話である。そうかといってそのことを分らせようとしても、今のところ可能性はないから、時節を待つより致し方ないが、大変な世の中になったものである。これ等を考えれば考える程、一日も早く医学迷信を打破しなければならないと痛感して止まないのである。

(栄光百九十号 昭和二十八年一月七日)