昔から病気に対して、手当という言葉があるが、どうもピッタリしていない。之を文字通り解釈すると、手を当てるということであるが、手を当てるだけで病が治るとしたら、病は屁のようなものであろう。といって今日の医療の如く薬や注射、色々な物的療法をすることは勿論手当とはいえないと思う。併しこれを想像してみると、撫ぜたり擦すったりして薬を服ませ、楽にするという意味であろうが、吾々からいうとこの一時的楽にする行り方こそ、反って病気を治さない方法で、拗らす方法であり、結果は慢性にする方法でもあるから、この言葉は廃めるべきだと思うのである。
(栄光百八十七号 昭和二十七年十二月十七日)