美術館建設の意義

左の文は、去る七月一日信者以外の社会各名士を招待の際の御挨拶に就て、外国新聞通信社の方々から、前以て原稿にして貰いたいというので、お書きになったものである。

私はメシヤ教々主岡田茂吉であります。今日は御多忙の処、折角御光来下さいました段厚く御礼申し上げます。偖て今回特に開館に先立って御覧を願う次第は、美術に対する具眼者である諸氏の御批判を仰ぎたいと共に、一言私の抱負を開陳致したいからであります。そうして宗教本来の理想としては、真善美の世界を造るにあるのでありまして、真と善とは精神的のものでありますが、美の方は形で表わし、眼から人間の魂を向上させるのであります。御承知の通り西洋でも希臘(ギリシヤ)、羅馬(ローマ)の昔から中世紀頃迄は勿論、日本に於ても聖徳太子以来鎌倉時代迄は、宗教芸術が如何に旺んであったかは御存知の通りであります。従って絵画、彫刻、音楽等凡ゆる芸術は、宗教が母体であった事は、否み得ない事実であります。

処が現代に至っては、それが段々薄れてゆき、宗教と芸術とは離れ離れになって了い、其処へ近代科学の影響も手伝って、宗教不振の声は常に聞く処であります。其様な訳で、どうしても宗教と芸術とは車の両輪の如くに進まなければならないと思うのであります。処で夫は夫として、日本という国柄に就て一言申したい事は、本来地球上の国という国は、人間と同様夫々其国独自の思想文化を有っている事であります。では日本のそれは何かと申しますと、美によって世界人類を楽しませ乍ら、文化の向上に資する事であります。日本の山水美が特に秀でている事や、花卉、草木の種類の多い事、日本人の鋭い美の感覚、手技の優れている点等を見ただけでもよく解る筈であります。処が其様な根本を知らないが為、戦争などという無謀極まる野望を起した結果、アノような敗戦の憂目を見るに至ったのであります。而も再び戦争などを起さないよう武器まで取上げられて了ったという事は、全く神が日本人の真の使命を覚らしむべくなされたのは言う迄もありますまい。尤も最近再軍備などと喧ましく言われていますが、之は単なる防衛手段であってそれ以上の意味はないのは勿論であります。

以上によってみても、今後日本の進むべき道は自ら明かであります。即ちそれを目標とする以上、永遠なる平和と繁栄は必ず招来するものと信じ、予て此事を知った私は、微力ながら其考え方を以て進んで参ったのであります。そうして其具体的方法としては、先づ美の小天国を造って天下に示すべく企図し、其条件に適う処としては、何といっても箱根と熱海で、交通の至便と山水の美は勿論、温泉あり、気候空気も好く、申分ない処であります。そこで此両地の特に景勝な地点を選び、天然の美と人工の美をタイアップさせた理想的芸術境を造るべく、漸く出来上ったものが此地上天国と、そうして美術館であります。それに就いては御承知の如く日本には、今日迄日本的の美術館は一つもなかった事であります。支那美術館、西洋美術館と博物館の宗教美術等で、日本人であり乍ら日本美術を観賞する事は出来ないという有様で、今仮に外国の人が日本へ来て、日本独特のものを観たいと思っても、其希望を満す事は不可能でありました。としたら美術国日本としての一大欠陥ではありますまいか。という訳で今度の美術館が、幾分でも其欠陥を補うに足るとしたら、私は望外の幸いと思うのであります。

それから斯ういう事も知って貰いたいのです。それは昔から日本には世界に誇り得る程の、立派な美術品が豊富にあり乍ら終戦迄は華族富豪等の奥深く死蔵されてをり、殆んど大衆の眼には触れさせなかった事であります。つまり独占的封建的思想の為でもあったからでありましょう。それが民主的国家となった今日、昔の夢となった事は勿論であります。そうして元来美術品なるものは、出来るだけ大衆に見せ、楽しませて、不知不識の内に人間の心性を高める事こそ、其存在理由と言えましょう。とすれば先づ独占思想を打破して、美術の解放であります。処が幸いなる哉戦後の国家的大変革に際して、秘蔵されていた多数の文化財が市場に放出されたので、之が我美術館建設に如何に役立ったかは勿論であります。

そうして今度の美術館は規模は小さいが、今後次々出来るであろう内外の美術館に対し模範的のものを造りたい方針で、一から十まで私の苦心になったもので、勿論庭園も一切私の企画で、一木一草と雖も悉くそうでありますから、素人の作品として欠点は多々ありましょうが、些かでも御参考になるとしたら、私は満足に思うのであります。尚且将来あるかも知れない空襲や火災、盗難等に就ても、環境、設備等充分考慮を払ったつもりでありますから、国宝保存上からも、お役に立つでありましょう。以上で大体お分りの事と思いますがつまり日本本来の美の国、世界のパラダイスとしての実現を念願する以外、他意はないのであります。尚近き将来熱海にも京都にも、地上天国とそれに附随する美術館を作る計画でありますから、何卒今後共宜敷く御支援あらん事を、茲にお願いする次第であります。之を御挨拶と致します。

(栄光百六十四号 昭和二十七年七月九日)