序文

此著は、私が目下執筆中の、「文明の創造」の第一章「科学篇」中の、医学の一項目から結核に関したもののみを抜萃したのである。という訳は、近来結核問題が非常に喧しくなって来たからで、結核漸増の傾向は、此儘では到底済まされなくなったからである。今日政府も専門家も大いに憂慮し対策を練り、出来る限りの方法を行わうとしているが、残念乍ら予期の成果は得られそうもないのは、今迄に何回となく、右と同様な手段を実行して来たに抱わらず、成果処か反って逆でさえある事実によってみても判るのである。其何よりの証拠として、対策が回を重ねる毎に、大規模になりつつなる事である。然らば之は何が故であろうかというと、全く其根本が誤っているからである。

ではどこに誤りがあるかというと、現代医学の考え方が学理に囚われ過ぎ、実際を無視している点にある為で、之に目醒めない限り如何に努力を払うと雖も、結核は減らない処か、益々増加の一路を辿るのみであろう。それが為国力のマイナスは固より、個人としても尠からぬ負担と、貴重な生命の犠牲とは、蓋し甚大なるものがあろう。私は之等の悲劇を見る時、到底安閑としてはおれない。一日も早くその誤りに目醒めさせ、真の医学の如何なるものかを、伝えなければならない事を痛感するのである。現在医学の行り方を見れば、恰度地獄行を天国行と錯覚して、バスを走らせているようなもので、危険此上なく、一刻も早く止めなくてはならないからである。

そうして此著は、宗教宣伝の目的は些かもないのは勿論だが、宗教的色彩が濃く出ているのは止むを得ないので、それでなくては原理を判らせる事が至難であるからである。そうして此著には宗教の外、科学も哲学も織込まれてあるから、現代人の如何なる階級でも理解出来ない事はなかろう。勿論理論ばかりではなく、多くの結核患者が日々救われつつある其感謝に満ちた報告、百人の実例をも併せて載せてあるから、一読直ちに肯けるであろう。而も右の報告は、特に顕著なもののみを選んだのではなく、最近数カ月間に来た感謝状の中から、入手したままの順序で、之以外の例も無数に上るのである。

従而、此療法を採用するとすれば、結核は忽ち漸減され、数十年後には世界に類例のない無結核国家日本となる事は、断言して憚らないのである。此様な夢にも等しき大言壮語を吐くという事は、如何に絶対的確信があるかという事である。若し万が一それが偽りとすれば、私の行為は、徒らに医学を誹謗し、人類を毒する大罪を犯す事となり、社会から排撃され、永久に葬り去られる事は必定である。としたら私と雖もそんな愚かな自殺的行為をする筈がないではないか。何よりも此療法に依存する者の、日々増えつつある事実によってみても多くを言う必要はあるまい。只此療法を採用するだけで、最も難問題とされている結核は容易に解決出来るのである。とはいうものの当事者に与える影響も尠くないとは想うが、人類救済という大きな見地からみれば、又止むを得ないであろう。

(結核の革命的療法 昭和二十六年八月十五日)