之程進歩した文明世界であっても、暴力なるものは、依然として凡有る方面に猛威を逞(タクマ)しうしている。その中で最大なるものとしては勿論戦争であるが、次は何と言っても暴力による革命であろう。然し昔の革命には暴力が附物となっていたが、之は今日のように文化が発達していなかったからで、夫は権力者の横暴による虐政によって人権は無視され、生命迄も脅(オビヤ)かされる危険があるので、之を打破し自由なる社会を作るには、当時としては暴力以外に手段がなかったから、止むなく人民は武器を執ったのであるが、然し今日の時代は全然違っている。よしんば今日革命を決行しようとしても、ソ聯を除いた殆んどの国家は、民主々義になっており、言論の自由も許されている以上何等暴力の必要はないから、合法的手段によって輿論を喚起し、平和裡に充分目的を達し得るので、此点全く文明の賜物というべきである。
処が今以て現在の世界には、暴力を捨て切れない国家も民族も、階級も個人も相当あるのだから厄介だ。私がいつもいう如く、現在はまだ半文明、半野蛮の域を脱していないと言うのも其意味である。斯うみてくると其野蛮性を一日も早く払拭する事こそ、吾等宗教人に課せられたる使命でなくてはならない。処が其野蛮性の一種に未だ何人も気が付かない処に重大なものが伏在している事である。それは医学に於ける外科的療法である。それは今仮に人体の何処かに病気が発生し、内科や其他の方法で治らないとすると、茲に外科的手段による事を可とする即ち患部を切り除って了うのである。而もそれを進歩した医術と思っているのであるから、軽視出来ない問題である。見よ其方法たるや肉を切り、血を出し骨を削り、臓器までも摘出するのであるから、其苦痛たるや名状すべからざる物があり、其無惨なる到底見るに堪えないので近親者にさえ見る事を許さない程である。この点にも吾々は野蛮性がまだ残っていることを痛感するのである。成程此様にしなければ病気は治らないとしたら、亦止むを得ないとも言えるが、其様な事をせずとも何等の苦痛なく、完全に病気を治し得る方法があるとしたら、恐らく之程人類にとって大なる恩恵はないであろう。処が此理想的医学が本教の浄霊療法であるとしたら、右の如く吾々にして初めて言い得るのである。
言う迄もなく我浄霊療法は、何等物質を用いず、患部に全然触れる事なくして、完全に病気が治癒されるのであって、苦痛もなく不具者にもならず、元通りの健康体になり、再発の憂いもないとしたら、之程素晴しい理想的療法はあるまい。之こそ全く文化的医学と言わずして何ぞやと言いたいのである。従って何れは世界の医学は此療法一つになるのは、断言して憚らないのである。
以上の如く何人も今日迄気が付かない、医学の野蛮性を暴露したのであるが、吾々は世界にある一切の野蛮性を消滅せんとするのが神意である。としたら之も亦止むを得ないのである。全世界の医学者よ、此論文を読んで深く考えて貰いたいのである。
(栄光百三十九号 昭和二十七年一月十六日)