祖霊祭りに就ての注意

いつもいう通り、宗教を代えた場合、其宗教の先生に勧められるまま、祖霊を祀り変えるが、之は大いに注意すべき事である。左の御蔭話には其点祖霊が出てよく分らせたので、大いに参考になると思うので、此文を添えたのである。

一家断絶寸前の境地より救われし喜び

北海道 K・T

拙き文筆に託しまして今日此天国の世界に救って戴きまし た喜びを御報告させて戴きます。私達は農家にて、明けても暮れても明るい生活を致しておりましたが、可愛いい妹が胃腸病を致し二歳にて此世を去りました。妹が亡くなってからも幸福な日々を過しておりましたが昭和四年九月M三女が二歳にして又も此世から去って行き、一家悲しい一週間を過ごし、妹の事もどうやら思いが消えたのも束の間、次は長男Sがカン虫にて同年一〇月二日に死亡致しました。両親もどうして次から次へと我が子が死んで行くのだろうと心配致し、一時は仕事も手につかず、毎日何も致す事なく日々を暗い思いで送っておりました。一年に二度葬式を出すそれも二ヵ月間に二人死す家も珍しい事でしょう。そうこうしている間に一年は過ぎ去り、昭和六年になり正月も無事に過し、二月を迎えました処、次にNが病魔に取つかれ、二一日を最期とし又々世を去って行きました。両親は我が子のいたましさに身をさかれる思いにて、昼間は仕事に追われておりますが、夜ともなれば仏の前に座し泣を流す。それが日課の如くくり返されました。それ迄は虻田郡のC村に居りましたが或る人に見てもらいましたら家が悪いとの事、早速私達は十勝の現在の所へ移り変りました。あまり心配と無理を致したせいか、母親が腹膜病にて床につく身となりました。父親もこうなれば必死になり、医者よ薬よと到る所へと通わせましたが一向に治らず、神におすがりする身となり、天理教に母親が昭和七年に入信致す事となり、神の御守護にて母親も無事全治致しました。

天理教に入信させて戴いてこの方迄は無事に明るき生活が出来る様になりました。

月日の流れるのは矢の如くとやら、昭和二二年に入り楽しい正月を迎えました。

至って母親は身体弱いので農業もあまりせず天理教教会に何時も通い、お詣りさせて戴いておりましたが、ついに今度は母親が同年五月坐骨神経痛にて死亡致し天理教にて御葬式をして戴き、それからは父、私二人の生活となり、一生懸命神におすがり致していました。母親が亡くなってから一週間目に今度私が脳膜炎の状態となり、早速医者に行き手あてをして戴きました。御蔭をもって脳膜炎も無事に良くなりましたが心臓、痔、脚気と次から次へと病み、私も之で此世とお別れ致さなければならない身となり、毎月の一五日より二五日の一〇日間はきまって頭痛が致し、病のどん底におとされて毎日父にお世話になり、天井とにらめっこを致しているのが日々の仕事でした。父は仕事も出来ず今日は此医者へ、昨日はあの医者へ、明日は祈禱屋へと毎日四里の道を我が子可愛いさの為に通って下さいましたが、一向に私の体は良くなりませんでした。私も九分九厘あきらめておりました。それからが私達一家に光明が差込んで来たのです。

忘れも致しません、昭和二六年一月一三日、Y町より来られたB先生が、私が床についているのを見て神のお話をされ、神の力にて病を治して戴ける事もお話し下さいましたので、早速御浄霊をして戴く事に致しました(天理教に入信致しておりましたので何のうたがいもありませんでした)。一日一日と体が良くなって来ます。B先生も遠い道(六里)を通い、或は泊られ、一生懸命に御浄霊をして下さいました。お蔭にて今迄の病魔はすっかり私の家より離れてしまいました。三月三〇日帯広へ行き、御守様を戴いて来ましょうと言われました時、まだ帯広迄汽車に乗って行くには無理だと思いましたが、B先生の言われるままに教会へと行きました。何と喜しい事、行合う人々は一〇人中一〇人共びっくりした顔を致しております。私が今頃生きて道を歩くとは一人も思っていないからです。一歩一歩歩く嬉しさ何にたとえようありません。教会へ着いたのは一一時半でした。色々とA先生よりお話を聞き御守を戴き、神に堅く誓い、喜び勇み吾が家へ帰りました。その翌日からは救いの御用に御手伝いさせて戴く身となり、今では毎日一五名位の方は御浄霊させて戴いております。

去る六月の一一日に光明如来様を迎える事となり、A先生に来て戴き、御霊祭をして戴きました。ちょうど祝詞をお唱え致している時(私はその後解りません)全身にふるえが来て手は合掌致し、口を開き始めました。

「私は先祖の何々である」と一人一人名を言い「今日光明如来様をお祭りして戴いたので私達は此様に苦しい所より救われて皆今は喜びの世界に行ける事となった」「しかし一ツだけお願いしたい事がある。それは今迄私達は天理教に祭って戴いていたが今日より昔の禅宗に切替えてほしい。之だけ御願い致す」と言って先祖は帰りました。天理教をお祭りする前は私の家は禅宗でしたが母親が入信致してから天理教に切替え神を祭っていたのです。天理教に入ってから七名の方々が天理教に祭っていたのです。早速霊の言うがままに切替えをさせて戴き、今は淋しい乍らも天国の生活を致し、私が苦しい病床についていた頃の事も夢と消え今は人々を救わさせて戴く身となりました。

どの社会に此様な偉大な力があるでしょうか、私達信者は今後神示のままに人類救済に奮闘致さなければならぬ時が近づいて来ております。互に協力し合い、一日も早く地上天国を作り上げましょう。

明主様始め諸先生方誠に有難う御座いました。読みづらい文を御許し下さい。有難う御座いました。謹んで御礼申し上げます。

(栄光百三十三号 昭和二十六年十二月五日)