三大迷信とは何か

本教の目的とする処は、新しい文明の創造である事は、いつもいう通りであるが、第三者が之を見たら、一寸不思議に思うであろう。何となれば、現在野蛮時代ではあるまいし、今更新しく文明の創造なぞとは、少しどうかしているのではないかと思うかも知れないが、決してそうでない事は、一通り此文を読んでみれば成程と肯くであろう。

吾々の方からいえば、現在は成程形だけは確かに進歩した文明世界であるが、内容に至っては、真の文明とは到底言い得ないのである。それはどういう訳かというと、何も彼も殆んど誤謬だらけであって、其誤謬とは大体左の如き、三つの大きなもので、それを今かいてみよう。

(一)薬剤迷信 之に就ては私は常に充分解説してあるから、改めてかく必要はない位だが、第三者に知って貰いたいからかくのである。今日何人も病気の場合、何よりも一番頼りにしているのは、勿論薬剤であるが、驚いてはいけない。之こそ実は人間の健康を弱らせ、病気を作り、命まで危くするものであって、世に之程恐るべきものはないのである。それ程のものが今日迄何故気が付かなかったかという疑問が、当然起らなければならない筈だが、それは全く薬剤迷信に深く陥っていたからである。従って人類を救うとしたら、此迷信を打破し、目醒めさせる以外他に方法はないのである。

(二)肥料迷信 之も本教信者はよく知っており、今更かくまでもない事だが、之も第三者に対して少しかいてみると、本来土とは神が人間に食糧を作らすべく、素晴しい性能を与えたものであって、言わば土其物は、肥料の塊りとも言うべき貴重品である。それを何時の時代どう間違えたものか、肥料という土を殺し、土自体の栄養を阻止するような汚物を手数を掛け、農民の懐を絞り、反って減産に役立つものを使うようになったかという事で、全く驚くべき迷信にかかって了ったのである。何よりも現在我国の産米、一カ年二千万石も不足するという事や、年々虫害に苦しむ事なども原因は全く肥料の為である事は、私が長年に渉って警告している処である。

(三)次は法律迷信であるが、之は前二者とは些か異る点がある。即ち法律の目的は、犯罪を防止するにある事は言う迄もないが、其手段として用いているのが、単なる取締りと刑罰だけである。然しそれだけでは予期の目的は達し得られないという事も分っている。何よりも今日の世相がよく物語っているからである。それは全く根本的重点に誰も気が付かないからである。では何故気が付かないかというと、ヤハリ一種の迷信に囚われていた為であって、迷信とは勿論犯罪の原因である人間の魂を無視して来た事であって、只単に表われた結果のみを対象として、それのみに腐心努力して来た誤りである。従って本当に犯罪を無くすとしたら、人間の魂を改善させる以外、方法のない事は余りに分りきった話である。処が其方法こそ宗教の力であってみれば、当事者は此事に気が付き、それを基本として、犯罪没滅の方針に出なければならないのである。此意味が心から分ったなら、何よりも先ず御自分が信仰に触れてみる事である。といっても今迄の宗教では先ず期待は出来まい。何となれば今日迄の処教育や道徳の方が、宗教よりも重用されて来た事にみても明かである。右の如き事情なるが為、止むなく法的刑罰主義を唯一の方便として行って来た訳で、之も無理はなかったのである。

之を要するに、既成宗教、道徳、教育等を合一した以上の、真に力ある宗教が出てこそ、犯罪のない理想社会が出現するのは勿論で、其宗教こそ我メシヤ教であるとしたら、一日も早く研究してみる事である。必ず私の言の偽りない事を知るであろう。

(栄光百十九号 昭和二十六年八月二十九日)