本教が常に唱える処の、唯物療法では駄目で、どうしても霊的療法でなくては、本当に治らないという事の実例として、左記のおかげばなしは、よくそれを物語っている。それは尿が閉止した病気で、其苦しみは大変なもので、原因は膀胱から尿道へ通じる口元に、血液の塊りがつかえたのであるから、一寸考えると、機械で除ればよさそうに思うのであるが、いくら熱心に行っても、何の効果もなかった処、一度浄霊するや、忽ち血塊が溶けて排泄され全治し、全く九死に一生を得たのであるから、本教浄霊の偉効たるや、実に世界に誇るべき医術であらう。
膀胱内の凝血一夜で排出
福岡県M・S
昭和二五年一二月六日それは忘れようとしても忘れ得ない私の一生を通じての苦痛の一日でありました。時恰も溶鉱炉の再開準備作業で多忙を極め、風邪もものかは、三九度の発熱をおして勤めて居たのでした、ところがその日は朝から血尿が出て居ましたのが血液が膀胱内で凝固して尿道口を閉塞し、遂に排尿出来なくなり一日中苦しみ続けました、膀胱ははちきれそうになっても一滴の排尿も出来ないその苦しみは全くたとえ様もありません。
夕方帰宅するや早速使いを派して医師の往診を求め、ゴム管のカテーテルを挿入して、排尿につとめて貰いましたが、凝血が管内につまって、どうしても排尿が出来ないのです、次には大きな注射器を下腹部より膀胱内につきたてて吸出につとめられましたが、これも凝血の為、 何んの効果もありませんでした、 四時間半に亘り数回、手を尽されましたが結局排尿出来なかったのです、遂にその夜モヒ注射で苦痛を忘れて寝につきました、翌朝早速、近くの観音様を信仰している祈祷師の小母さんに来て貰って祈祷して戴き、少々排尿が出来いくらか楽になったのですが、絶えない出血は次々に凝固し、その後十数日は排尿に苦しみ続けました、貧血の為に脈搏は微弱となり、手も足も冷えて睡眠も出来なくなり、文字通り死の訪れを予感せざるを得なくなりました、此間輸血二回止血剤の注射十数本、服薬等、凡ゆる手当てを尽くしましたが、全くその効はなかったのです、医師は出血して居ると思われる左の腎臓を手術する外はないと言われますが、貧血して衰弱して居る身体で、どうして手術が出来ましょうか、祈祷師の小母さんは未だ葬式は出さないのか、と近所の人に尋ねて居たとは、後で聞いた笑い話です。
丁度その時に生前意識のある内に一日なりとも、と遥る遥る宮崎から娘達夫婦が来て呉れまして、メシヤ教に入信して居る婿は早速若松のU先生に御願いして、不便な田舎に態々御足労を煩らわしたのでした、それは一二月二二日の夕方の事です、全く半信半疑で「そんな事で癒るかしら」と心の奥でささやいて居ました、当時の偽わらざる心境であったのです、
其夜も依然として血尿は続きました、翌二三日一〇時頃用便の際、凝固血液が多量排出され膀胱内の尿は此時初めてすっかり出てしまったのです、御利益を戴いたのかなあ、と思って居ますと次の排尿は、何んと不思議なことには一滴の血もまじらない澄みきった尿でありました、一八日振りに出血が止まったのです、家族や親戚一同皆その尿を見て小躍りして歓喜したものです、夫れ以来二カ月後の今日まで然も医学博士が手術をせねば止まらないと言って居た出血が-拭った様にピタリと止まって、何んの苦痛も不安も全く無くなってしまったのです、これを知って、奇蹟と言わずして何ぞやであります、引き続き先生に御浄霊して戴き、すっかり元気になり、一月六日より三日間、妻と共に教修を受けまして入信させて戴きました、今では十数年来の頭痛も、胸の疾患もすっかり治癒して一日も休まずに激務に服して居ますが、何んの障りもなく、楽しい明け暮れに人生の生き甲斐を感じ感謝に充ちた生活を営んで居ります。明主様誠に有難う御座居ました。
(栄光百十号 昭和二十六年六月二十七日)