次の二科会を観て唖然とした。私の頭脳は憤慨と悲観と惑乱でゴチャゴチャになってしまった。美を追究するどころではない、美などはありはしない、只醜のみだ、観るのさへ私は苦しい。此暑いのに遠い処まで来て苦しむとは何の因果か、画を観て憤激するとは世にも不思議と思った。もし今日の油絵が此ままであるとしたら、金輪際みない方がマシだとさへ思った。忌憚なくいえば、之は絵ではない、美も芸術も全然ありはしない、唯あるものは奇怪極まる平面な物質だ。
本来絵画とは自然の表現なんだ。自然の美を芸術を通してより美化し魅力化する、それ以外何もない筈だ。死人の如き裸婦や、幽霊の如き群像など、まるで地獄図絵そのままだ。そればかりではない、幾何学的な線の交錯や、毒々しい色の乱舞だ。それを絵として得々と出陳してゐる無恥さだ。私は絵具とカンバスの徒費を惜しまずにはおられない。此様な世にも不思議な作者の心理を解こうとしたが解き得ない、頭脳は焦々してくる。之は一種の罪悪であるとさへ思った。私は頭の中が変になって来た。到底見続ける事は堪へられない。早々館を出た。初秋の上野の空を仰いでホッとして、救はれたやうな気がした。
熟々思った事は今観た現在の油絵である。何としても行過ぎだ。迷路に入り込んでまだ気がつかないのだ。新しい感覚を追求しすぎたのだ。美意識のサディズム的重症患者だ。フランスのピカソあたりから感染された伝染病であらう。吾々と雖もマチス、ルオー、ボエール程度のものなら理解出来ない事はないが、ピカソに至っては縁なき衆生でしかない。彼等は只個性の表現にのみ心を奪はれて了って遂にこうなったのだ。個性の幽霊だ。言ひ換えれば主観の亡者だ。主観の亡者は現在ひとり画家ばかりではない。到る処にあるが画家のそれは殊に始末が悪い。
吾々の貧しい研究によるも、支那の宋元から日本の足利時代以後今日に到る迄、巨匠名人といはれる程の画人は、例外なく客観性を逸してはゐない。厳とした主観があってそれを客観で包んでゐる。例えば主観とは人間なら骨である。骨を包んでゐる肉や皮膚があってこそ客観の美がある。処が今の油絵は皮膚や肉がない、只骨の露出だ。美も芸術も無である。此意味に盲目である限り、彼等はやがて滅んで了ふであらう。それを知るが故に私は此苦言を呈するのである。
次に、帰りがけ青龍展を観た。会場芸術の本尊だけあって、成程大きな絵が所狭きまで並んでゐる。忌憚なくいえば、どれもこれも低迷状態で、殆んど進歩の跡は見られない。一言にしていえば、余りに喧騒だ、喋舌りすぎてる、色のジャズだ、実に目紛しい、どれもこれも描きすぎてゐる、余韻も落着きもない、露出狂的だ。成程奇抜もいい、気のつかないものから美を引出そうとする意図は判るが、絵としての約束を無視して意味がない。絵にならないものを絵にしようとする苦悶が観る者を焦立たせずにはおかない。
龍子先生の金閣炎上は無難といふまでだ。茲で先生に一言いはして貰はう。それは絵画の絶対条件としては気品である、高さである。青龍展を見て其憾を感じない訳にはゆかない。今一つは今以て会場芸術に囚はれてゐる。之が抑々異端でなくて何であらう。人間に美を楽しませるとしたら、室内装飾とは絶対切離す事は出来ない。展覧会だけでしか楽しめないとすれば、芸術の価値は半減されて了ふ。之は正に執着の幽霊だ。もっと突詰めて言えば、芸術家の我儘でしかない。以上遠慮ない苦言は君を思ふからである。
総括して、最後に天下の画家諸君に言ひたい事は、君達の画業は今壁に突当って、どうにもならない。此壁から抜け出ない限り、恐しい自滅の運命は押迫るだけだ。特に洋画家諸君に言ひたい事は、画の大きさや、石の重さや、ダンスで見物人を呼ばうとする浅ましさだ。之は人間からボイコットされた画家の、呻きでなくて何であらう。
(栄光七十一号 昭和二十五年九月二十七日)