天然痘毒素の外に薬剤の毒、すなわち薬毒といふ毒素が、如何に恐るべきものであるかを説明してみよふ。
古今東西を問はず、病気に対する薬物療法は、人類に如何に根強く浸潤したであらふか。病気に罹れば薬を服むといふ事は、腹が減れば飯を食ふといふ事程、それは常識となってゐる。然るに驚くべし、薬物は“病気を治癒する力”は全然なく、反って病気を作る即ち病原となる-といふ、恐るべき毒素であるといふ事を、私は発見したのである。到底信じ得べからざる大問題であるが、然し、真理は飽迄真理であって、奈何とも為し難き事である。
昔有名なる漢方医の言に、「元来薬といふ物は世の中にない。皆毒である。病気の時薬を服むのは、毒を以て毒を制するのである」と言った事を私は何かの本でみた事がある。実に至言なりといふべしである。又、毒薬変じて薬となる-といふ諺もある。成程痛みに堪えられぬ時、モルヒネを注射すれば、立所に痛みは去るのである。之は痛む神経がモヒの毒で一時的麻痺するからである。之は医学でも判ってゐるのである。
私は、最初の方で病気の原因は、浄化作用であり、浄化作用は苦痛が伴ふ-その苦痛が病気である-と説いてある。即ち人間は誰しも苦痛は厭だ、早く免れたいと思ふのは判り切った話である。その場合、苦痛を除るには、二つの方法しかない。一つは完全に除る-といふ事、それは排泄さるべき毒素を、全部排泄さして後へ残さない事である。今一つの方法は、一時的苦痛から遁れる事である。それは、苦痛の起る以前の状態に還元さす事である。それは、浄化作用を停止し、浄化作用の起らない時の状態にする事である。処が、前者の完全排泄は自然治癒法であるから時がかかり、であるから、早く苦痛から逃れたい-といふ事が、今日迄の薬物療法は固より、凡ゆる療法を生み出したのである。又、今日迄の医学では、右の原理も分らなかったのである。
(医学試稿 昭和十四年)