抑々日本人本来の天寿は幾つかと言えば、百弐拾歳である。之は如何なる根拠から出たかと言ふ事を解り易く説いてみる。人間は天地の縮図であり、小宇宙である。又、日本国は地球の雛型になってゐるのであり、日本の気候は、四季が洵に好く調ってゐて、それが人生の経路によく当嵌まるのである。即ち、一年を十二ケ月に分ければ、春夏秋冬は三月宛である。それを人間に当嵌めて試ると、一歳より三拾歳迄が春分となり、三拾一歳より六拾歳迄が夏分となり、六拾一歳より九拾歳迄が秋分となり、九拾一歳より百弐拾歳迄が冬分となるのである。(凡て陰暦に依る。)
この四季の状態は、洵に人生行路の起伏をよく現はしてゐるのである。先づ、人間呱々の声を挙げて出生するや、芽出度いとして大いに祝ふのである。此時は恰度正月元旦、新年の誕生を寿ぐのと同じである。そうして漸くそれぞれの学校を卒え、丁年ともなれば年頃になって春になると人生の花が咲く。男は世に出て花を咲かさんとし女も又、春風に遇って花の蕾が綻(ホコロ)びやふとする状である。それで初経の事を花が開くといふ。それが、三拾を越えて夏分に入るや、益々、花の盛りとなるのである。花によっては早く咲く花と、遅く咲く花とあるが、之も人間に好く当嵌まるのである。早く成功する男子もあり、遅く結婚する女子もある如なものである。そうして、四拾を越え、五拾を越えて、男子は愈々信用も得、活動の旺盛期に入り、女は幾人かの子女を得て一家繁り栄ゆる状は、恰度四、五月頃から、花は散っても葉や枝が弥々茂るのと同じである。そうして、六十を越えるに及んで、実りの時期となり、刈込になるのである。若い頃から、若心惨澹した事業が漸く実を結ばんとし、女は又、苦労して育てた子供等が漸く一人前となって、親の為役に立つ頃となるのである。それが恰度、植付の頃から、種々の手を竭(ツク)して、稔らせた稲の収穫期の様なものである。其秋の収穫も過ぎて、愈々九拾を越ゆれば冬季に入るので、それからは、功成り名遂げて静かに余生を送る。それが人生真の順序である。
故に、百二拾歳迄生きるのが本当であって、神武紀元千年頃迄はそれに近かったのである。然るに、人間が罪穢を構成した事と、支那から漢方医学が渡来し、人間が薬剤を服用する様になってから、追々、寿齢が短縮したのである。故に、今日の如く日本人の平均寿命が、六十歳などとは古人の夢想だもしなかった処で、近代人は寔に不幸なものである。之全く右の如き過誤に由る結果なのである。故に身体に毒がなければ百二十まで必ず生きられる。
茲に、天の時来って、観音力に依る無医薬療法が創始されたのであるから、これからは漸次人間の罪穢は払拭され、体内に残存せる薬毒が減少してゆくので、復び寿齢は延びてゆくのである。
それに就ては、本会員と雖も、祖先以来の不浄が体内に残ってゐる関係上、理想の百二十歳は難しいであらふが、九拾歳以上は必ず生きられるのである。此事に依てみても、如何に本会員が恵まれてゐるかが判るのである。
(S・11・3・6)
(新日本医術書昭和十一年四月十三日)