薬剤の害毒

人病に罹るや、直ちに医師の門に駈け付け、治療を乞ふのであるが、医師は先づ投薬療法をする。此場合、服薬と注射、塗布薬等であるが、之が治療上に於ける誤謬の抑々の根本である。何となれば、再三述べた如く、病気の根本は霊体に発生し、而して後肉体に表はれるのであるから、薬剤は肉体的には多少の効果ありとするも、霊体に向っては全然無力であるから、肉体へ顕出した現象を、外部から停止さすに過ぎないのである。而して、霊体の曇が移行した結果である患部は、汚物停滞であり、それが自然浄化によって、体外に排泄さるるその行程が病気であるから、病気其ものの苦痛が病気治癒になるのである。故に、薬剤や其他の方法によって、病気現象を停止せんとする事、それが取不直、自然治癒の妨害をする事になるのである。

人間の血液は、絶対清浄を保つべきもので、血液清浄なれば決して病に侵されないのである。即ち、霊体の曇が血液の汚濁となり、其浄化作用が病気であるから、如何に霊体は清浄でなくてはならないかと言ふ事が判るのである。黴菌に対し、浄血は殺菌力が旺盛であるといふ事は、他面から言へば、人間の血液の掃除夫である黴菌が浸入するも、汚濁が無ければ、掃除の必要がないから、繁殖出来ないで、衰滅する訳である。

故に、薬剤の作用は治癒を妨害すると共に、其余燼(ヨジン)は血液中に吸収されて、血液を汚濁させるのである。此事実は長年に渉る薬剤服用者の皮膚を見れば、瞭らかである。其皮膚は蒼白にして、光沢及び弾力なく、若くして老人の如くである。是等の患者へ対し、薬剤使用を停止さするに於て、時日の経過による自然浄化が、薬剤中毒を消滅さすから、生気を増し、皮膚は光沢を呈し、健康を快復するのであって、斯事に専門家も患者も、今日迄気が付かなかったといふ事は、実に不思議である。

次に、薬剤の逆作用の恐るべき事である。それは、薬剤使用の目的と反対の結果になる事である。例えば、胃の不消化へ対し、消化薬を用ひると、一旦は非常に良く、消化の効を顕はすので、之によって胃は健全を増し、不消化症は治癒するのであると、医師も患者も誤信するのであるが、何ぞ知らん、一時的効果の次は、反って不消化の度を増すのである。それは何の為かといふに、胃は本来、食物消化の器能として存在するものであるから胃自体の労作によって消化さすのが本当であり、又、そう造化の神は造られたのである。然るに何ぞや、それを薬剤の力を藉りようとするのである。薬剤が食物を消化すれば、胃は労作の必要がないから、自然、胃の活動力は衰耗退化してゆくのは当然である。故に、胃薬服用を連続すればする程、胃は退化の度を増すから、益々不消化になり、其不消化を補ふべく胃薬を用ひる。それが又、不消化の度を増すといふ循環作用によって、遂に重症となるのである。私が実験上、食欲不振や不消化の患者に対し、胃薬服用を廃止さすに於て、其病的症状は漸次消失し、患者は其意外に驚くのである。又、それ以外に重大な事がある。それは消化薬は食物を柔軟にし、溶解するのであるが、食物丈ならよいが、胃壁に対しても同様の作用をするので、之が最も怖るべき事なのである。即ち、消化薬連続服用に由って、或程度柔軟化した胃壁は、僅かの固形物が触れても亀裂するので、其亀裂によって血液が浸潤し、それが吐血、血便、痛苦の原因となるので、之が即ち胃潰瘍である。故に、胃潰瘍とは、胃薬の連続服用が原因であるに係はらず、胃潰瘍を薬剤によって治癒せんとする、西洋医学の誤謬は、実に恐るべきものである。

次に、便秘も其他の疾患に対しても、右と同一の理であるから略する事とするが、要するに、薬剤の逆作用の如何に恐るべきかを知らなければならないのである。特に生後間もなき嬰児の如きは、薬剤の注射や服用によって、発育遅滞又は発育停止の症状さへ起すのである。それは薬剤使用は、一種の不純物を注入する訳であるからである。此事は最近、一部の医家は発見し、嬰児に限り薬剤を使用せず食餌療法のみを応用するといふ報告に接し、大いに喜ばしく思ってゐる。

(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)