浄霊は疑っても治るという事は、本教の特色であるが、左記御蔭話をかいた人は、カンカンの中のカンカン虫のような人であるが、神様からこれでもかこれでもかとやられて、到頭否応なしに往生させられた記録であるから、微笑み乍ら読んだ訳である。これ等は小さな個人的の例であるが、追々時節が進むに従って何千何万の集団でも、造作なく頭を下げさせるのだから、その神力の偉大さは想像もつかないのである。最後は世界中の人が残らず、手を合わせるようになるのは勿論だから、今からその時を楽しみに待っていればいいのである。
死の子宮外姙娠から救わる
岐阜県 K.T
「貴方等二人のように、いつもいつもお医者様や薬屋の御奉公ばかりして居らずに光明如来様にお縋りしなさい。私の子宮筋腫も手術もせずお蔭を戴いたのですよ。どんな病気でもお蔭を戴けるからね」
「私はね、どんな有難い光明如来様か神様か知らないがね。そんなことは信じられないよ。義姉さんはね、それは神経だよ。この世に神様なんかあるもんですか。私はね、戦争で外地へ行って身をもって体験したんだよ。それに私はね、人に 押付けられる事は気に入らんからね」
「まあ何でもいい、浄霊をしてあげるよ」
「やるなら勝手にしたがいいさ………」
「どう、何か感じて」
「何ともないね。馬鹿らしいこと止めたがよいよ………」
この様な問答とも口喧嘩ともつかぬ言い合いの対手は青葉も繁る五月の頃子宮筋腫の為手術の直前、奇しくも光明如来様に救われその上持病の頭痛も癒されお守様を拝受、歓喜の絶頂にある義姉(妻の姉)のMさんでした。
でも私は全然無神論者ではなく朝晩のお勤めはしており、この世に生を亨くる者は何か大きなものに頼らねばならぬ。小さな弱い人間の力だけでは何事も出来ないものとして居りましたのに彼の大戦の結果、従来の考えが根底から覆えさせられたのでした。この身心ともに受けた私の胸に、どうして義姉の言葉が信じられよう。併し余り熱心に勧める義姉の言葉に、「よし、そんなに浄霊がしたかったら勝手にやるがいいさ」というわけで御浄霊を受けかけたのですが御浄霊の最中でも、やるせない義姉の言葉に対しても、時折に喧嘩腰です。姉の言葉なんかてんで聞こうとしません。
「頭が痛くても腹が痛くても注射一本で治るんだから、私は野戦に居る時病院付もして居りました関係上、一寸した病気位自分で注射一本で家族の者でも治して居るんだから、手をかざして病気が治るなんて馬鹿らしくて」という工合です。
「今まで、注射一本で治るといっても治っていない証拠に、いつもいつも注射をしたり、薬をのんだりしているんじゃない。貴方は知らずに居るけれど、今までのんだ薬や注射薬は薬毒となって貴方等の体の中に残っているんだよ。これはね、浄霊でその毒をとかしてきれいな体にして頂けるんだよ。今にその毒がとけて出るようになるよ」・・・・・・ 併し不思議不思議、浄霊の回を重ねるに従い気分も軽くなり何だか調子もよい様です。薬を使って居た時とは勝手が違う様です。
「こんな馬鹿なことが」と思っても事実の前には何とも仕様がない。いつかしら自分から進んで家内と一緒に御浄霊を頂くのが楽しみになって来るのがどう仕様もないのです。そして色々の救世教の刊行物をむさぼり読む様になったのです。
妻は一年程前から腰痛を訴えて居りましたがその都度医者の注射にて楽になって居りましたが、こんどは義姉の言う通りになってしまったので、会長先生に御浄霊をお願いすると二、三日後から御浄化を頂き以後姉さんの御浄霊を頂きつつもあまりにもわからず屋の私の毒舌は遂に姉を怒らしめ?御浄霊をして呉れないようになって仕舞いました。
その頃内心頗る御浄霊をして頂きたいのだが心と口が一致せず自分乍ら割り切れない気持で自分から頼むことは嫌いだし、止むなくそれとなしに姉の家へ行っても義姉は知らん顔をしている(姉には私の気持はよく解っていたそうですが ……)。
遂に、こらえ切れず妻から頼んで貰って妻と共に御浄霊を頂ける様になり、先ず私が入信の栄を得ました。この様にして八月二一日夜から妻は腹痛激しく、翌日二二日会長先生に御浄霊を頂きました処二三日午前三時頃大浄化を頂き、驚いて義姉及び信者Hさん御夫婦、Yさん等に夜中ながら、御浄霊をお願いすると同時に産婆さんに来て貰いましたが、(申後れて居りましたが妻は子宮外妊娠だったのです)
「これは医者にかからねば駄目だ」と産婆さんは言うのです。義姉さんは、
「医者にかかるか、光明如来様にお縋りするのかどちらだ、 腹をきめなさい・・・・・・」
「光明如来様にお縋り申します。早く楽にして下さい」、と心の奥からお願い申し上げ、早速義姉から失礼も顧みず電話で会長先生にお願い申しました処、幸いにもA先生が代理としてお越し下され、御親切な御浄霊を頂き楽にさせて頂きました。この嬉しさは口にも筆にも表わせない極致でした。
A先生の御指示により、昨年流産した子供の位牌を作り再度御出張して戴いたA先生にお祀りをして戴きました処、胎盤様の物が出まして又々楽にして戴いたのですが夜中から又激痛を訴えまして、急に下半身が冷くなり目もぼんやりとしてこれが最後かと驚き且うろたえましたが
山よりも高く海よりも深かりぬ救ひの神の深き恵は
御讃歌そのまま、この世の者でないと思われた妻も、重なる偉大なる御神力の下、四日目に胎盤も出て以後順調な御浄化を戴きまして、やっと夫婦共に心から感謝の生活に入ることが出来まして、妻もお守様を拝受致すことになりました。
私共の如き神様に対して我乍ら空恐ろしき言動をなせる罪深き者にまでも深きお恵を垂れさせまする大慈大悲の明主様、光明如来様有難うございました。無明より醒めた私達夫婦
讃へても称へ尽せぬ大御幸筆も言葉も表はす由なき
力なき身にしあれども道の為尽させ給へ伊都能売神
この上は御教示にある如く、地上天国建設の為、微力乍ら専心御奉仕させて頂くことをお誓い申し上げます。
(昭和二七年一一月二六日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)