現代医学が、如何に素晴しい迷信であるかは、吾々にして初めて言い得ると共に、一日も放っておけない重大問題である事を叫びたいのである。ところがこれに輪をかける事実は、唯物医学と吾々の宗教医学とは、テンデ比べものにならない程の異いさで、月とスッポンどころではないにも拘らず、医学の方を真実のものと思い、吾々の方を迷信と見るのだから恐らく斯んな不可解な話はあるまい。全く哀れなる者よ、汝の名は現代文化人と言わざるを得ないのである。左記の例はそれをよく物語っているから、この文を添えたのである。
浄霊日記
布衣生(E・K)
某月某日
文房具店の細君が、肥満した身体を恥ずかしそうにくねらせて、今晩は、と入ってきた、その物腰がいつもと違うので、浄霊に来たな、と咄嗟に思った。
あの……お隣りの子供さんが、もう、すっかり治ったので、その御礼かたがた私もお願いしたいと思って伺いました。お隣りさんが、気持だけで済みませんがと、これを言付けました、と言い、パンの入った袋を差出した。そして、一日で痛みが除れ、二日目で腫れが引き元気で学校へ行けるようになったので、大変喜んでいました。昨日もお医者へ行ったら、もう治ったから来なくてもいい、と言われたそうです。と、昨日、今日と二日来ない中耳炎の女の子の事を話した。その子は小学校の二年生、プールで右耳に水が入って中耳炎になり、一ヵ月あまり医者に通い、五〇〇円のペニシリン一〇本注射し、処置料一回六〇円ずつかけたが一向に良くならない。この上は手術して骨を削ってみる。それで治るか治らないか、請け合えない。と医者に言われた。女の子で顔に傷が出来ると、嫁にゆく年頃になってから困る。と心配していたが、文房具屋さんから教えて貰ったのでお伺いした。そしてお医者さんが、耳から膿が出れば治るのだがと言い、その上、この子は栄養が足りないと言いました。と付け加え、一〇日程まえにその母親が連れて来たのだった。膿が出れば治る、というのは正しいが、膿の出ないようにする、ペニシリンの注射をうったのは明らかに矛盾している。現代医学の間違いをまざまざと見せられた思いであった。
注射されているので少し永くかかるかも知れない、と思ったので、毎日学校の帰りに寄越しなさい、と言って浄霊した。患部は勿論、後頭部から延髄にかけて酷い固結があり胃も浄化している。学校の授業時間や、宿題が辛い事もこれで解る。栄養不良の原因もここにあるのだ、耳だけでなく、身体全体が良くなりますよ、と説明すると、母親は喜んで、御面倒で宜敷く御願いします、と言って浄霊する様子を何か頼りないような面持ちで見ていた。結果は三度のお浄めで中耳炎は全治したのだ。それにしても、浄霊しながら医者へも行っていた、と聞かされて唖然とした。母親に薬毒の説明はしたし、耳に入れてあるガーゼを見て、すぐ取って仕舞いなさい、と言ったが、相手がその儘にしているので無理に私の手で取る訳にはゆかない。このガーゼが、毎日、医者で詰め替えていたのに気が付かなかったのは、こっちのミステークだった。急に良くなったので、お医者さんも変だなあ……と言ったそうです。そしてお隣りさんではあの翌日、毎日医者に払っていたお金がいらなくなったから、デパートへ買物に行くと言っていました、と文房具屋の細君はいらぬ事まで喋った。そして神様へのお礼がアンパン一〇個ですか、と私も笑った。それにしても、あの子が良くなってもう来ない、と思うと一寸淋しくなりますね、と家内が言う。一人で来るのが恥ずかしいのか、いつも友達を一緒に連れて来て、玄関の戸を開けるとき、声を揃えて御免下さいと言い、背負鞄と草履袋を置いて私の前へチョコンと坐る。帰りには又声を揃えて左様なら、と挨拶してゆく可愛いい姿が目に浮んだ。
文房具屋の細君は一九貫がピンと撥ねる小便肥り、足腰が重たく息切れがし、月経も滞りがちで頭痛がする。近頃では生きているのが厭になった、と常々言っている人だ。二年前からお道の話をして来たが、そんな莫迦な方法で病気が治るとは思えない、とてんで頭から受けつけない。それでも、近頃の加速度的な肥り方に困って私の事を思い出し、隣りの人を紹介して寄こしたのだった。ところが医者とは段違いに、てんで問題にならない偉効を見て、やっと、自分も浄霊を受けてみる気持ちになったのだ。今晩は、と入って来た時、愈々とうとう来たな、という複雑な感じがしたのはそういう訳である。
浄霊のことは、話だけでは勿論信じられないであろうが、お蔭話も作り事(『栄光』の御蔭話の文体がやや同じようであるせいか)と思う、こういう人たちに浄霊を受けさせるまでが大仕事だ。一度、試みて、初めてここに神様のお力を知るようになるのが、都会人の通弊である。中耳炎の子の母親のように、医者へなら無理苦面しても治療費を払い、無痛で治して下さる神様へは、一銭でも御礼するのが惜しい気持になるのも、今の世の中の人達の共通した考え方である。愈々間近に迫ったという人類の最後の審判の時、我々の救いの業に嘲笑を浴せ、悪口を言った人達も、この文房具屋の細君のように頭を下げて、きまり悪げな様子をして救いを求めに来るのか、と思うと愉快でもあり、憂鬱でもある。
(昭和二六年一〇月五日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)