医学が病気を作るのである事は、吾々は常に諭(オシ)えているのであるが、左の実例はそれが余りに明らかで、これを読んだら疑う事は出来ないであろう。この患者などは最初軽い病気であったのが、誤れる医療の為に、段々悪化の上にも悪化してしまい、医師も手の施しようがなくなり見放したのである。それでも医学迷信に罹っている現代人は医療を信じ切っているから、容易に思い切れないのは、全く恐るべき盲信というより外に言葉はない。そういう人も最早死の一歩手前の土壇場に来たので、信じられなくとも外に方法がないから、本教浄霊に縋って来たのであるが、そんなにまで信じない人でも、一度浄霊を受けるや、忽ち偉効があり助(タスカ)ったのであるから、医学と浄霊と比べたら、どちらが迷信であるかがよく分るであろう。
悪性腎臓病を全快さして戴いて
岩手県 A•T
昨年(昭和二六年)のお正月釜石に参りました時に顔がむくみまして、腎臓病と名前を付けられました。それで二月まで病院通いを致して居りましたが食事も美味しく、ほんの一寸顔が浮腫んだ程度で居りました。医者が「蛋白が沢山尿に出る」と言って心配しました。そこで近所の人に聞いて救世教のH支部をお伺い致しましたら「蛋白が多く出るのは結構だ」とI先生に聞かされ、又K様にも「本当にいいんですよ」と言われましたが、医者から見れば反対なので信ずる事が出来ませんでしたが、三日通いました。処が「蛋白が非常に多くなった」と医者に言われ、ついに三月入院いたしました。すると食べたくてたまらないのに食事を制限されまして流動食のみです。牛乳三合に重湯三合と番茶、薬が一日の食事でした。果物も甘い物も全然許してくれません。毎日毎日蛋白の有無を調べられるので、かくれて食べる事も出来ませんでした。主人も私もすっかり医者を信用して医者の言う通りにすれば良くなるとのみ考えてのんびりしていたのです。その食餌法を四〇日も続けましたら肥っていた私も日増にやせまして、目眩がして一間も歩けなくなりました。とても駄目ですので医者に頼んでスープ丈を許して頂き、皆さんに笑われる位ガブガブ飲みました。すると四月二二日「現在の腎臓病の療法は食べさせて治すという事を他の医者から聞いた」と言って食事を許されましたが、その時は既に胃や腸がすっかり弱って少し食べても吐き出す有様です。吐くと丁度汽車に酔った様に頭痛激しく胸はむかつき、熱はあるし見る見る顔が今までになく腫れて参りました。
医者も心配になったのでしょうか、厚生病院長を頼んで診て貰ったら「尿毒症の一歩手前で食べなければ駄目だ」との話でした。そうなると医者も当にならず、やせてふらふらしながら、四月三〇日思い切って退院致しました。そうなってもまだ医学迷信から抜け切れず別の医者に診て貰いました。気分が良いのですが、その頃よりだんだんお腹が大きくなるばかりでした。そうして臨月位になり背中の方まで苦しくなり、ついに五月二五日第一回腹水をとってもらいました。とった後は体が軽くとても気持が良い様ですが、とる度毎に熱が出たり寒気がしたりして気分が良くなかったのです。全然水分をとらない様に御飯におかず丈の食事ですが、一〇日過ぎると一升五合位とれるのです。尿量は殆んどないと言ってもいい程で、三〇〇 cc 位で五ヵ月も続きました。どんな薬をのんでも尿は出ませんでした。そうして腹水は一五回もとりましたら、医者も首をかしげて心配して居られました。主人始め子供達まで非常に暗い生活でした。今考えるとあれを称して地獄というのだと思います。何の薬をのんでも尿量が無いので、本当に絶望し、一人蒲団に顔をかくし泣いた事でしょうか、全然起きる事も出来ませんでした。が幸い主人も理解があり、妹も一生懸命看護して呉れましたので、その点幸福でございました。時々子供に「何時お母さんが治るの」と顔をのぞかれては只々涙が出て返事に困って居りました。
忘れる事の出来ない昭和二六年六月二八日世界救世教T中教会H支部のK様が心配してわざわざおいで下さいました。その時の有難かった事は筆舌に現わす事が出来ません。その頃尿量は二五〇cc位しか出ませんでした。腹水も取っていました。先生と相談の上毎日御浄霊に来て下さる事にして下さったそうで、雨の日もいとわず毎日おいで下さいまして、まる三ヵ月自分の子供でも病気して居る様にいたわって頂いた事は、一生忘れる事は出来ません。御浄霊をして頂きますと、とても気持良く、時には眠る事さえ何度かありました。Kさんは「大丈夫良くして戴けるから」と慰めて下さいまして、一月二〇日にI先生の特別のお計らいで床の中で教修を戴き、有難きお守様を拝受さして頂きました。それからは神様以外に人間の病を本当に治して下さる者は無いという気持になり、何事も捨てて一心に寝ても起きても「明主様」「大光明如来様」とお念じ申し上げました。一〇月一五日に御霊紙をお受け致しまして一日三回ずつ頂きました。処が不思議な事には一五日に尿量が四三〇ccに増し、一六日に五〇〇cc、七日に八〇〇c、一八日に八五〇cc、一九日に九五〇cc、二〇日に一二〇〇cc、と日増に多くなりました。その時は有難さ嬉しさでこみ上げて来る涙をどうする事も出来ませんでした。神様有難うございますと心の中で申し上げる丈でした。早速Kさん、I先生(同居)に妹を走らせ、普通尿量になった事をお知らせ致しました。主人始め妹、子供達も大喜びで「お母さん沿った治った」の連発でした。
お蔭様で最近は食事も進み、気分も良いので、妹にも郷里福島に帰って貰いました。後は主人に手伝って頂きまして何とかお勝手仕事までさして頂ける程良くして頂きました。明主様、本当に有難うござい ました。一日一日お腹も小さくなり、足のむくみもとれたのでしたが、一寸風邪を引いて尿量が少くなり足もむくみ、妊娠七ヶ月位の大きさになりましたが、御浄霊さえ怠らなければ出る様になると先生が申され、光明を抱いて御浄霊戴いて又自分でも一日中御浄霊頂いて居りましたら二、三日で尿量が増して参りました。全く明主様の御力の偉大さをわからずには居られません。今日は三〇〇〇ccもありお腹も小さくなってしまいました。頭も今までになく清々しい感じが致します。私は今何事をするにも「明主様、大光明如来様」が脳裡 から離れません。お蔭様にて日増に全快に近づかして頂いて居ります事を心から御礼申し上げます。
拙ないペンを執りまして嬉しさの余りこれが全国の方々のどなたか一人でもわかって頂け、お救い出来ればと思い御礼を兼ねて書かさして頂きました。
明主様、誠に有難うございました。
(昭和二七年八月五日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)