いつもいう事だが、医学と浄霊との異いさの、如何にハッキリしているかという事で、左記報告はよくそれを物語っている。これは学校で起った過失傷害であるが、学校当局の処置も、医師の診療も、今日の制度を以てすれば、些かも非難すべき点はないのである。何となれば、浄霊の効果が、医学とは比べものにはならない程、素晴しいものであるかが全然判っていないから、又止むを得ないのである。この一事をみても、本教浄霊の価値が、一日でも早く社会一般に知れ渡る日の来たらん事である。
約書まで入れて御浄霊にすがり
傷眼短時日に治癒す
佐賀県 H・Z
謹んで御礼御報告申し上げさせて戴きます。
私共夫婦は昭和二一年の四月と七月に夫々入信させて戴き、その後一家中無医薬にて数々の御守護を戴き誠に有難く感謝の日を送らせて戴いて居ります。明主様誠に有難うございます。昨年一〇月一二日の出来事でございました。現在中学二年の長女(M)が学校で男生徒のいたずらで左眼を負傷して痛くて開ける事が出来ないと言いますので、私が朝夕二回御浄霊さして頂きA分教会で御浄霊を戴くべく町に下り、先ず学校の始業前に欠席届旁々又後の注意もして貰う様にと思って、娘を連れて先生に面会を求めました。そして色々話の末、小さな輪ゴムのはじきで、三分平方位のボール紙をはじかれ、それが眼に当った事がわかり非常に先生も心配され、兎に角医師に診察して貰う方が良かろうと衛生主任の先生が病院に連れて行かれ、私には一寸待って下さいと言われますので、色々先生の話を聞いた後、私も病院に行って医師の話を聞きますと、眼の玉に当って瞳孔が割れていて熱があり化膿する恐れがあるから一週間ばかり入院しなさい、でなければ失明するかもしれないと言われ直ぐ点眼されました。
その為それまで和らいでいた眼が急に痛み出し、痛くて開けられない位になりました。最初から病院で養生するつもりは毛頭ないので「家で養生させますから、このまま帰して下さい」と医師に申しますと、医師は大変心配して、「長くはかからぬから」としきりに入院を勧められましたが、固く辞退してやっと病院を出て教会に急ぎました。教会に着いて見ますとI先生はT町の御本部に御参詣中で御留守で助手の方々がいらっしゃいました。早速事情を御話して、光明如来様に今までの事をお詫び申し上げ、御守護御願い申し上げ御浄霊を頂き、喜んで家に帰り休ませました。
丁度その日の夕方、私が仕事より帰って来ると同時に学校の受持の先生が一里半の山坂道を上って訪ねて来て下さり「実は先刻は済みませんでした。後で病院に行って来ましたら大変な事で、すぐ校長先生に報告し 職員会議を開き、入院の実費は全額学校から出す様になりましたからどうか入院さして養生させて下さい」と親切にお勧め下さるのでした。併し私は「学校当局及び先生の御思召は最も有難く御礼申し上げますが、私は光明如来様に御願いして今迄も数々の病気も無医薬で全快さして頂いて居りますから、この度の娘の眼も必ず治して戴きます」と御道のお話を致しますと、先生は「貴方はそれ丈信仰が出来ましょうが子供には未だそんな深い信仰心はむずかしいと思います。又学校として困る点もありますから、校長先生の命令で上って来たのです。どうか学校に御任せ下さい」と強いて言われましたので仕方なく先生と連れだって下り、途中平山と言う所まで行った時、先生は「自転車ですから先に下って学校に寄って来ます」と言って先へ走られました。
私達二人は九時二〇分頃A町に着きましたが分教会へ曲る角にさしかかると娘が、「医者へは行きたくありません。分教会にお参り致します」ときっぱり言いますので、光明如来様が御導き下さるのだと思い、その足で教会に御参り致し、又早速学校に行って先生にこの事を御話致し、先生も教会に来て頂き約一時間に亙り助手の方々と一緒に話をしましたが、結局前の話を繰返すばかりでした。併し遂に先生も光明如来様に御願いする事を納得され御帰りになりました。それから、又しばらくして先生が見えられ、どうしても学校としては医学を否定する事が出来ないから、どうしても此方で養生されるつもりでしたら、約書一札を入れて下さいと言われますので、それでは書きましょうと次の様な約書を書いて渡しました。
約書
昭和二五年一〇月一二日A中学校二年四組H・Mの二時限校庭集合時に於ける左眼に傷害を受けし事に対する学校当局の御処置は私の最も有難く満足するところであります。今後万一病の悪化することあるともこれは全く私の致すところでありまして決して学校当局の責任ではありません。依って後日の為に約書一札御差入れ申します。
昭和二五年一〇月一三日
A中学校二ノ四 H・M
A中学校長殿 父 H・Z
その後一生懸命に御縋り致し、分教会に毎日御参詣させて戴き、御浄霊をお願い致しましたところ、二日ばかりは大変痛んだそうですが、眼の星は一日一日と小さくなり、三日目から痛みは止み、六日目には通学致しました。二週間目には全くもと通り全快致し学校当局は驚歎し、本人はもとより親として喜びは一通りではありませんでした。明主様光明如来様本当に有難うございました。未だ何の御奉仕も出来ない私共に、斯くも多大の御守護を賜わりました事、何と御礼申し上げ様もございません。これからは一人でも多くの人がお蔭頂き、一日も早く地上天国が出来ます様、御神意の万分の一にも添い奉るべく働かせて頂く覚悟でございます。自然農法も一昨年より全面的に切替えさせて頂いておりますが、益々良い成績で近所の方々も段々分って頂きつつあります。これも偏に明主様の御守護と厚く御礼申し上げさせて戴きます。
(昭和二六年七月一日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日