忘れもしない。私が宗教研究を始めて間もない頃であった。或中流家庭の廿歳になる娘が、肺病の為、数年間療養生活を続けて来たが、どうしても治らないので、私は頼まれた。当時大本教信者であった私は、鎮魂帰神なる方法の下に霊治療を行ったのである。二三週間の霊術によって非常に快くなった。病気の原因は、四代前の其家の当主の弟が、失踪行方不明となったまま終に野垂死をした。勿論祀られる筈もなかったので、無縁仏となって地獄に落ちて居たが地獄の苦しみに堪えかね、正式に祭ってもらひたいと、その一念から気附かせるべく子供を重い病人にしたが、気附いてくれないので、「此上は死なせる外はない」と想ひ、右の娘に憑依し生命を奪おうとしたのである。
右の事情が判った訳は斯うである。娘に霊療法を行った三回目であった。娘の傍に座ってゐた母親が突如として起ち上り、物凄い面貌をしながら、私に向って掴み掛らうとするのである。と共に荒々しい言葉で--「貴様はよくもよくも俺が殺そうとした此娘を助けやがった。俺は腹が立って堪らないから貴様をとっちめてやる」--と言ふので私は吃驚した。何故ならば、憑霊現象の事は予て聞いてはゐたが、実地にぶつかったのは初めてだからである。私は--『マーマー座んなさい』と言った処、彼は温和(オトナ)しく座った。『一体、貴方は誰方です』と私は訊いた。それから両者の問答が始まり、知り得たのは前述のやうな事情である。そこで私は-『人の生命を奪(ト)るという事は、もし成功すれば其罪によってヒドい地獄へ堕ちなければならぬ』と言った処、最初は疑ってゐたが、私が種々説いたので、漸く納得がゆき、娘の病気を治すべく協力を誓ったのであった。そうして右の母親なる婦人は年齢五十歳位で、霊媒としては最も理想的であって、霊が憑依すると其間全然無我になり、自己意識が少しも入らないからである。元来霊媒としての資格は自己意識の入らない程可いとしてあるが、斯ういうのは極稀で、大抵は幾分覚醒状態であるから、それだけ自己意識が邪魔するのである。
然るに一旦快くなった病状が、幾分後戻りの傾向が見えた処、或日母親が訪ねて来た。「此両三日前から、私に何かの霊が時々懸るらしいから査(シラ)べてもらいたい」というので、早速私は鎮魂帰神法を行った。彼女は瞑目合掌端座した。私が祝詞を奏上し、それが済むや否や彼女は口を切った。其時の問答は左の如きものである。
彼女の合掌してゐる手が動(ヤ)や震へ、呼吸が稍(ヤ)やせわしくなった。之が神懸現象の普通状態である。
私『貴方は誰方です』
彼女「此方は神じゃ」
私『何神様でゐられますか』
彼女「魔を払ふ役の神である」
私『何の為に御懸りになりましたか』
彼女「其方が今病気を治してゐる此肉体の娘に最近悪魔が邪魔してゐるから、それを防ぐ方法を教へに来た」
私『では、どういふ方法で?』
彼女「毎朝艮の方角へ向って塩を撒き、大祓い祝詞を奏上すればよい」
私『有難う御座います。然し貴方の御名前は』
彼女「今は言う訳にはゆかぬ」
私『種々御尋ねしたい事があるが』
彼女「其方に浄めの業を教へる為に来たのであるから外の事は言う事は出来ぬ。では直ぐ還る」
と言うや直ちに御帰りになった。と同時に彼女は眼を見開き、曰く
彼女「アゝ吃驚した」
私『何を吃驚しましたか?』
彼女「最初、先生が祝詞を奏上なさるや、自分の後の方からサーッという物凄い音がしたかと思うと、私の横へ御座りになった御方がある。見ると非常に大きい人間姿で黒髪を垂らし、白布(シロヌノ)のようなもので鉢巻をされてゐる。よく視ると、衣服は木の葉を編んだ如きもので、その木の葉の衣服は五色の色に輝き、燦爛(サンラン)として眼もまばゆい美しさである。御身は非常に大きく、座ってゐて頭部は鴨居に届いてゐる。その御方が自分の身体へ入ると共に無我になった」--
というのである。実は私は最初「神じゃ」と言はれた時に、前々から神にも贋神があるといふ事を聞いてゐたので、警戒してゐたが--右の話によって贋神ではなく真正の神様である事を知ったのである。其後それが国常立尊という神様で、軍神(イクサガミ)の時の御姿である事も判った。国常立尊という神様は最高位の古い神様で、各所に祭られておらるるのである。
其後も私は此神様から種々の奇蹟を見せられ、且つ私に御懸りになり、種々の事を教へられ、御守護を受けた事も一再ならずであった。
(信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)