世の中の種々の思想や運動の動機として、何々主義と名付けて目的を達成しようとする現実は、普(アマネ)く人の知る処である。然るに此の主義なるものは或る程度の成功はしても、究極に於て必ず失敗し、消滅してしまう事も、常に見る処である。之は如何なる訳であろうか、大いに考えなくてはならないと思う。
抑々、主義なるものは必ず対照的のもので、敵と味方と対立する事になるから闘争を生じ易い。即ち勝つか負けるかという結果になる。万一勝ったとしても、次にそれに対抗すべき新しい主義が又生れるから闘争の絶間がない。事実近代に於ても次々生れては消え、消えては生れる種々の主義がある。その重なるものに曰く帝国主義、専制主義、全体主義、資本主義、共産主義、社会主義、自由主義、民主主義、保守主義、進歩主義、個人主義、積極主義、消極主義等々数え尽せない程である。元来主義なるものは限定的、排他的、独善主義的であって、その国家、階級、団体のみの利益を主眼としたものであるから、どうしても闘争の因を作る事になる。
此の意味に於て人類社会永遠の平和と栄えを望むとすれば、今日迄の主義と異なる処の--それは世界的、人類愛的のものでなくてはならないと思う。近来米国に於て唱道され始めた世界国家や、MRA運動等は右の如き意味のもので、吾等と同一目的たる地上天国出現を目標としての運動と見るのである。
(信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)