この病気の原因は勿論薬毒であるが、その固結個所が後頭部及び股間鼠蹊部が主で、その他全身的にある毒血が、浄化によって溶け、肛門部から出ようとする。それが脱肛、痔核、出血、痛み、痒み等の症状である。只痔瘻は一寸違う。これは薬毒の強烈なのが肛門部に溜結し、排泄されようとして小形の腫物になり非常に痛むものである。これを放っておけば少しずつ破れた粘膜から滲出、或いは小穴が穿いて排泄され治るのであるが、これに無知である医学は手術をするが、これが大変な誤りである。というのは手術で固結を除くや、必ずその隣りに又出来る。又切るというように、遂には蜂の巣のようになり、堪えられぬ程の激痛が続いて苦しむものである。
ここで注意したい事は、痔瘻に限らず如何なる腫物でも、自然にしておけば腫れるだけ腫れて、末期になると、その部が紅くブヨブヨになって小さな穴が穿き、血膿が出て治るものであるから、如何に大きな腫物でも必ず治るから心配はないのである。処が手術は勿論だが、針の頭位の穴でも穿けたが最後、毒素の集中は停ってしまい隣接部へ腫れる。又いじるとその隣へというように、膿のあるだけは幾つでも腫れるので、頸部淋巴腺の場合など呼吸困難となり、生命迄も失う事があるから、大いに注意すべきである。
大分県 K・S
私が世界救世教の御話を耳に致しましたのは、昭和二四年の末頃で御座いました。病貧争をなくする宗教、そんな有難い宗教があるのでしたら、一度御参り致して御話を御伺い致したいと思いましたが、何分忙しい商人のこと故にその機会もなく過して居りました。しかしふと思い付いた事は私の郷里の家の事で、何時帰ってみても誰か必ず病気をして居て、折角の帰郷も楽しみどころではなく不愉快な思いをして帰宅致して居りました。お話によりますと、その救世教の先生は御願いすればどんな所にでも行って下さるとの事、一度お願いして実家の人達を御指導して戴こうと思い付き、現在H出張所の責任者であるT様にお願い致しました。それは昭和二五年の一月末頃だったと思います。するとT様は「二月一日に私宅に光明如来様の御祭りがありますから、一度御参りして先生からよくお話を御伺いし、それからお願いしなさい」と言われましたので早速お祭に御参りさせて戴き、U先生より色々の有難いお話又御浄霊を見せて戴き「実家の御救いは先ず貴男がさして戴いては」とのお話に早速入信させて戴きました。その後は実家に帰って御浄霊をさせて戴きました。
現在では誰一人として床につく程の病気をする者もなく、一家喜びに浸り今では母も入信さして戴いています。又生まれてより病気をしない月はない程に、一ヵ月に一度は必ず四〇度の発熱があり、そら薬だ、そら医者だ、ペニシリンだ、と言って随分医者へ通い、又来て貰いまして、段々と月日がたつにつれ、長い時は二〇日も掛り心配を重ねて居りました私の長男が、入信後五日目の事急に又四〇度の高熱が出ました。御守様を拝受して日の浅い私でも良くなるであろうかと心配しましたが、御参りしました時のU先生よりのお話を思い出しまして一生懸命に御浄霊をさして戴きました。一時間経た頃には長男もすやすやと眠り始めまして、翌日には食欲も出熱も大分下り、約四日間で全快致しました。第二回目の浄化は三日掛りまして第三回目の浄化の時などは一日で恢復させて戴きました。今では長男も近所の子供より元気が良くなりました。
又二六年春の大祭には本部に御参拝さして戴き、御明主様に御面会させて頂きましたが、その日から一〇年間苦しんで居りました痔病の御浄化を頂きまして、血便三日間の大変有難い浄化を頂き、現在では大元気で働かして頂いて居ります。私は現在金物商を致して居りますが、御客様方で便器を買う人には一人残らずこの道のお話をさせて頂き、毎晩一二時か一時頃迄は御用をさせて頂いて居ります。
又本部、中教会、教会、出張所へ御参りする度に奇蹟的な御守護を頂き、店の方は御客様の数が多くなり、毎日楽しい日々を送って居ります。入信後一ヵ年間数々と有難い御守護を戴いて居りますが、これにてペンを止めさせて頂きます。
広大無辺な大光明如来様に感謝を捧げ……
御明主様、誠に有難う御座います。厚く御礼申し上げます。尚御指導下さいました諸先生方有難う御座います。
(昭和二六年七月三〇日)
岐阜県 T・S
明主様、日々御守護を戴きまして有難う御座います。
昭和二一年父母入信以来、度重なる御守護を戴き、昭和二五年二月私と妻の二人並びに弟妹全部入信させて戴き、三月には大光明如来様を御迎えし、完全なる無医薬の家庭となり、幸福なる日々を送らせて頂いて居ります。
昭和二五年八月二六日、長男A(一歳)が腹痛を訴え、便通はとまり、腹は大きくむくみ、床の中をもだえ苦しむ有様となり、早速会長先生の御浄霊を御願い致しました。
「生死の境」との御言葉に驚き、四、五日間先生の御宅に御世話になり、一生懸命御守護を御願いすると共に先生の御熱心なる御浄霊の御蔭にて間もなく水便が下り始め、腹痛もとまり、母乳も受付ける様になり、一命を救って戴きました。その後も四、五日に一回ずつ位浄化が続きました。
二六年一月、私が熱海瑞雲郷地上天国建設奉仕隊員として 一ヵ月の御奉仕を終り帰って参りましてより、だんだん元気になり、七月迄元気で過して参りましたが、八月に百日咳の浄化を戴き、激しく咳込む中に、長さ三寸、太さ大人の親指二本大の真赤なものが肛門より出て会長先生並びに信徒の方々も驚くばかりでした。先生方の御浄霊を一ヵ月程続けても尚激しく浄化するので、先生方も心配され、先生の特別の御計いにて父が明主様に特別御面会を戴き、有難くも「治りますから心配いりません」との御言葉を頂き、大いなる心の杖を頂き、不思議にそれ以来肛門の周囲より粘液がどんどん出て来ました。その悪臭はとても鼻持出来ませんでした。これが腸内の薬毒であり、その臭である事がはっきり致しました。
W先生の御浄霊を頂いて居りますと見るみる中に少しずつ小さくなり、その月のそれから三、四日経って完全に元に収まり、どんなにいきみましても絶対に肛門から出ない様になり、一同ホッとし、有難いやらうれしいやらで胸一ぱいでした。不順であった便通も順調になり一同再度の喜びに浸って居ります。
直ちに子供用の御守様を御授け戴きました。翌二五日には熱海の本部へ家内共々御礼参りさせて頂きました。
明主様の偉大なる御力でなくて何で御座いましょう。限りなき明主様の御慈悲の賜物と深く感謝致して居ります。
この上は御恩の万分の一にも報ゆべく御手伝をさせて頂きますと共に、地上天国建設の御神意に添い奉らんと日夜努力致して居ります。
(昭和二六年一一月二五日)
鹿児島県 F・K
謹みて明主様に御報告申し上げます。私は昭和二一年頃より痔病を患い、一四年の夏頃迄はたいした事も御座いませんでしたので別に気にもせず働いて居りました。只当時は大便の済んだ後少々痛む程度で御座いました。処が二四年の秋より脱肛と共に出血がともない、寒さが加わるに従いまして多量となり、日一日と苦痛は増す許りで御座いました。最初は両親にも話す勇気がなく、何とかしてと新薬に頼り、一人で解決し様と苦心致しましたけれども、余りの出血で便所にて両親も知り、「お前は痔が悪いのではないか、こんなに出血がしては大変だ。お前はあまり酒が多すぎるからこんなに悪くなったんだ、酒を絶対にやめなくてはいけない」との事、私は従来より酒好きでしたので余り多量に飲み過ぎた関係かも知れないと思い、その後出来るだけ酒より遠去かる様に心掛けました。けれども良くなる様な結果も見出し得ず、反って悪くなる一方で、大便後一時間乃至二時間位は体を横にして、じっと休んで痛みが治ってからでないと仕事にも取りかかる事は出来ない様になってしまいました。時々無理をして仕事した場合など二、三日続いて痛む様になり、勿論出血もひどく、この儘で悪化していったならばどうせ自分の体は長くもてる体ではないだろうと思い、希望も失い一日一日地獄へ突き落されて行く様でした。尚又人々の話に依りますれば肺結核になるという様な話に、恐怖は益々募る許りで御座いました。愈々私も最後の手段として専門医の手術を受け様と決心致しました。しかし乍ら、当時の吾家の家計は相当苦しく、手術を行うも早速という訳にもいきませず、時期を待って入院致す覚悟を致して居りました。
処が私の如き罪深き者にも大慈大悲の光明如来様の救いの御手が差し伸ばされて参りました。昨年の四月中旬、救世教を信仰して居られる先生、S先生という方が当地にお見えになり「こうして手を翳す事によって如何なる病気でも治りますよ」とのお話。あまりうますぎるお話でしたので、只今考えて見ますと甚だ失礼なお話ですが、最初は警戒致し、御浄霊を御受けする気にもなりませんでしたが、あまり熱心にお奨めになりますので、もし万一治ったらという気持になり、好奇心にかられて御浄霊をお受け致す様になりました。二、三回御浄霊を受ける内にとても臭気を帯びた粘液が下りました。その臭いが丁度四、五ヵ月前肛門より押し込んだ新薬の臭いと少しも変りませんでした。この不思議さに先生方の御話になる薬毒の浄化の意味が多少分って参りました。その後熱心に御浄霊を受ける様になり、六月八日御懇切なる支部長K先生の御教修により御守様拝受の光栄に浴し、初めて知る薬毒の恐しさと浄化の有難さを知りました。
その後M支部の月例祭に参列して戴くと共に、御浄霊を続けて参りました結果、出血は尚多量となりましたが、浄化の有難さを知り、別にそう心配も無く、昨年の暮迄一進一退でありましたが、一二月二〇日過より大浄化を戴き、激烈なる痛みを感じ出血もひどくなり、三日三晩は一睡も出来ませず、魚の腐れた如き臭いのする粘液が多量に下り、I先生の懸命なる御浄霊にて僅か一〇日間ですっかり出血も脱肛も良くなり、痛みも痒みも無くなり、そのときの嬉しさは筆や言葉に表すことは出来ません。
そして昭和二七年の新春を天国に住む思いでお迎え出来ました事は、明主様の広大無辺なる御慈悲の賜物と深く深く感謝致して居ります。この上は御恩の万分の一にも酬ゆべく、力の限りを尽し、地上天国の建設に御協力さして戴きます。明主様有難う御座いました。
(昭和二七年三月一日 )
(アメリカを救う 昭和二十八年一月一日)