おかげ話から何を掴んだか

本教出版物に載せられた今日迄のおかげ話は無慮千数百に上ったであろう、而も益々増加の傾向にある事によってみても、本教特異の信仰療法が如何に絶大な効果を挙げつゝあるかは、事実そのものが證明して余りある。処が茲に見逃すべからざる医療の功罪がある。

成程、現代医学の進歩の恩恵に随喜し、文化民族悉くが何等の疑惑なく信頼している事実は知らぬものはないが、斯様に文化面の最重要位置に不動の存在である医学に対し、忌憚なき意見を発表する吾等の行為こそ、殆んど例を見ないと言ってもよからう。勿論吾等と雖も現代医学が一般の信ずる如く的確なる効果を挙げ人間の健康に対して真に役立つとしたら、何を好んで非難の筆を揮ふであろうか。而も現行法規に照らし、兎もすれば医療妨害に問はるゝ危険さえあるに於ておやである。

処が、吾等は神授の医学を基礎とし、実地に当って深く研究を進めれば進める程、現代医学が如何に邪道に進みつつあるかを痛感するのである。随而之に目覚めない限り医学が如何に努力し研鑚を積めるとも、結果からみて何等の進歩もなく百年一日の如く堂々めぐりしてゐるに過ぎないのである。何よりも現在見るが如く病者の氾濫と健康状態の不良である。即ち一方の病気が減れば他の一方に新しい病気が発生するというような現実は常にみる処である。

以上の如きは全く医学の根本に一大誤謬が伏在してゐるからである。然るに吾等の神霊療法が如何に実際、効果を挙げつゝあるかは生々しい現実としてのおかげ話の報告で、之以上の実證はあるまい。言ふ迄もなく体験者自身の筆である以上、一点の疑惑を挿む余地はないからである。

先づおかげ話中の報告を見て驚くべき事は、発病するや例外なく速やかに医療を受ける、処が医療を受ければ受ける程漸次悪化する事実である。勿論大病院、名医凡ゆる薬剤等生命に関する以上、金銭の負担も時間もその人の最大限にまで続けるに拘らず、前述の如く悪化の結果死の手前まで追詰められて了うのである。全く之以上の大問題はあるまい。右の如くに医学の理論と結果とは殆んど逆である。例えばおかげ話中にある如く医家が治るといい、請合ふというに拘らずその結果が余りにも予期に反する事である。

斯の如く学理と実際の逆効果は、医家と雖も常に経験する処であろう。又大病院に於ての診断と解剖の結果との相違の甚だしい事はよく聞く処である。その場合医家はその原因を医学の誤りとは夢にも思わず、反って医学の不進歩の為と解するので、医家は一層医学を促進させるこそ人間を救ふ事と解釈するのであるから、吾等から見れば余りの過誤に言うべき言葉を知らないのである。それが為黴菌発見に動物試験に、新薬の発見に光線放射に栄養改善にありとあらゆる医病力の発見に専念するのである。その現われとして医学の分野は益々複雑多岐に渉り病名も数も増すから科目も増加し、微に入り細に渉って研究され、学説も治病方法も素晴しい進歩を挙げつゝあるように見えるので、世人は幻惑され今日の如く極度に信頼を払ふのであるが、肝心の治病結果に対しては些かの進歩もなく、たゞ一時的苦痛緩和の対症療法が巧妙になったに過ぎないのである。

而もそれを進歩の道程と過信するのであるから、冷静に現代医学を批判する時、全く長歎息の外ないのである。一言にしていえば実際と游離した学説を実際に当嵌めようと努力するのであるから、予期の効果を挙げ得ないのは当然である。それが為ただ研究のみに耽る結果、モルモットだけならいいが、幾何の人間が犠牲になりつつあるか計り知れないものがあらう。学理が真理とすれば、予防医学によって寄生虫も結核も伝染病も中風も小児麻痺も漸次解決の道程に入り、今日の如く続出氾濫する筈がない訳である。之を要するに現代医学の誤謬に目覚めしむる事こそ真の救済である。

以上の如くであるから、神の大愛は世の終末に際し、吾等を駆って此是正を遂行せしむべく真の医術を啓示され給うたのである。何しろ数十世紀以来続いて来た処の医学であるから、一朝一夕に覚醒させる事は頗る困難であるが、神の絶対力を信ずる吾等としては、何等疑念なく前途の光明に向って邁進しつゝあるのである。

(自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)