著述編

信仰雑話

迷信邪教

今日新聞雑誌ラヂオ等、盛んに迷信邪教に瞞されるなという事を警告してゐるが、成程迷信邪教は昔から断えず輩出してゐるばかりか、今日は最も甚しいようである。然し全部が全部迷信邪教とはいわれまい。その中の幾分かは今日立派な宗教として残ってゐるからで...
信仰雑話

難行苦行

信仰と難行苦行とは密接な関係があるように、昔から一般人に思われてゐるが、元来難行苦行は古代印度のバラモン教が起源で、釈尊出現以前の印度は、殆んどバラモン信仰が印度人の大半を占めてゐたという事である。彼の達磨の面壁九年の苦行もそれであるし、又...
信仰雑話

怒る勿れ

昔からある、有名な格言に「成る堪忍は誰もする、成らぬ堪忍するが堪忍」といひ、又「堪忍の袋を常に首にかけ破れたら縫え破れたら縫え」という事があるが、全くその通りである。私はよく人に質かれる事がある。「先生が今日あるは如何なる修行をされたのであ...
信仰雑話

プラグマチズム

私は若い頃哲学が好きであった。そうして諸々の学説の中、最も心を引かれたのは彼の有名な米国の哲学者ウィリアム・ジェームスのプラグマチズムである。先づ日本語に訳せば哲学行為主義とでもいうのであろう。それはジェームスによれば、唯だ哲学の理論を説く...
信仰雑話

奇蹟

宗教に奇蹟は附物である。否附物であらねばならない。観音教団には奇蹟が非常に多い事は信徒諸士の常に体験する所であろう。奇蹟によって信仰が深くなり、熱が加はる事も亦明かである。然るに近代の宗教は奇蹟が少い為、反って奇蹟の多い宗教に対し迷信呼ばわ...
信仰雑話

信仰の醍醐味

私は信仰の味に就て世人に告げたいのである。天下何物にも味のないものはない。物質にも、人間にも、生活にも、味の無い物は殆んどあるまい。人生から此味を除いたら、文字通り無味乾燥全く生の意欲は無くなるであろう。従而人間が生に対する執着の根本は、味...
信仰雑話

善を楽しむ

私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる処のものは善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思ってゐる人も少なくないらしい。先づ一家の主人公である...
信仰雑話

悪の追放

悪とは何ぞや、言ふ迄もなく自己の利益の為に他人を脅かし、苦しめ、社会を毒する行をいうのである。此悪の為に、個人は固より社会全般に損害を与える事は、蓋し大なるものがあろう。人事百般大なり小なり悪による被害者たらざる者は一人もあるまい。例へてみ...
信仰雑話

敗戦の教訓

日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。成程一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げて未だ曽て経験せざる混迷状態に陥った事は吾々の記憶に新たなる処であるが、実をいうと、それは一時的であって、将来を想う時は悲観する処ではない、大いに楽観す...
信仰雑話

宗教と芸術

今日迄、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私は之は大いに間違ってゐると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海山の風景を眺むる時、文芸美...