昭和九年六月十五日に私は御神命により、麹町の山王様即ち日枝神社へ三十何人の御供を連れて御参拝しまして、天照大神様を御鎮祭、一同で祝詞を奏上致しました。是は日枝神社へ天照皇大神様が御鎮りになられたのでありますが、霊的の事でありますから神官すら知らん事であります。
日枝神社は今迄三柱の神様が御祭りしてあったが、此の三柱の神様は今迄の御留守番であったのでありますから、六月十五日の朝御昇天になられたのであります。是が昼間の世界の第一歩であります。
其の時に麹町の町名が大変に変りましたが、是も御経綸の一端でありまして、此の日のお祭りが今迄のお終いの又始りのお祭りに当るために盛大なお祭りでありまして、日枝神社の出し物は殆んど猿でありました。猿とは猿田彦命の事で、昔から神様の案内役でありました関係であります。
関東では日枝神社と、大宮の氷川神社が関東二大官幣大社であります。是れが御夫婦神ともなるのであります。観音会でも地方としては大宮へ支部が出来たばかりであります。之も不思議な因縁であります。
(昭和十年九月五日)