神界の支配者 盤古神王大自在天

此神が金が必要の為龍宮の乙姫の宝を要する為に、乙姫から貰って来たのである。此の何千年来乙姫が実権者であったのである。上記の如く音姫の世を観ているというのが観世音であった。時期は約三千年で九千年六千年三千年となっている。

(音姫の世を観る)

国常立尊が天照大神から命ぜられた時が九千年前である。音とは日即ち統一の形である。要するに立即ち龍が世界を統一するという字であるから、音姫が天下を統一している事になるのである。龍が天下を統一した時は暗となるのである。又闇である。ヤミの字には必ず音の字が附いているのを見てもよくわかる。字は皆意味があって出来ているのである。

乙姫の統一した間を「暗の世」と言う。乙姫ともかくのであって、此の乙姫の姿は黒龍である。黒龍は悪龍である。私は越智隆蔵氏方の龍神の池に黒龍の泳ぎいるのを見たことがあったが、

越智隆蔵とは乙姫の型である。乙の字が既に龍の形なのである。

乙姫の血即ち霊を持った龍を隠しているとか隠れているとか、治めている、右の様な意味にて正しく乙姫なのである。越智方に龍神のお祭りの時三、四尺の池を掘り龍神を祭った時池一杯に五分間位黒龍が泳いでいたので良く解った。

暗黒無明の世であると言う事は音姫(乙姫)の世であるという事である。観世音とは乙姫が世を支配している間の御名であるから、今後余り長い間使用する様なことはない。乙姫が神様に世を譲れば観世音とは言われなくなるのである。この意味に於ても遠からず観音会も会名の変る時が来ることが悟られるのである。又一名観自在天とも言い、印度では要するに観自在天なのである。

印度は大自在天が最高の神であるから、此の自在天の世を観ているという意味になるのである。日本では観世音である。是は前述の音姫の世を見ているのである。

日蓮上人に邪神が懸って此の立正安国論を説いたのである。此の邪神も龍神である事は立正の立で解るのである。立正安国論もあの当時であったから良かったのであるが、今日では駄目である。此の意味は「龍が神を止め暗黒の世とする」というのである。

観音様は円満具足という事になる。丸くて完全であるという事である。真丸という事である。

真丸はダイヤモンドをよく見ると解る。ダイヤは八角であるからその八角を取って行くと真丸になるのである。

ハッパ六十四角である。六十四角が真丸になるのである。

又三十三相というのが実は三十二相である。この三十二相は化身で、本体の聖観音を加えて三十三相というのである。

聖観音は決して化けないのである。六十四洲と言ふのが、此の意味に相通じている処がある。麻邇の玉-如意宝珠ともいう。神霊というのを神という。神というのは真丸な円満具足なる事である。

玉の横の丶を上に掲げると主になる。玉の字は非常に貴い字である。伊都能売とは円満滑脱である。玉はくるくる自由自在にどちらへでも転んで行く。神様に角があっては善良な神様とは言えぬ。丸くならねばならん。丸いから転るのである。自由無碍に転るのである。

法輪を転ずるとは観音様の事である。滑稽洒脱である。大いに笑わせるのである。観音行に近い人程丸いのである。どんな人にも合わして行かねばならんのである。怒るのは真丸ではない。人に突掛るのは角である。観音行は此の角が取れなければ丸くなる事は出来ない。又湿っぽくては駄目である。笑冠句を奨励するのは此の意味からである。笑ったり笑わしたりすれば、自然に天国状態となり、円満になれるのである。世界の平和とは争がなくなる事である。

(昭和十年八月五日)