結論

抑々、今度の事件に対し、冷静に検討して観る時、少なくとも公平に行はれた取調べとは思えない。それに就ての、二三の疑問符を抛げてみよう。先づ第一容疑の性格に対し、取調べの峻厳な事と、其日数が多過ぎる事である。私の経験によるも、以前特高時代の時とは比較にならない程長くかかった。其頃であれば幾ら綿密に取調べたとしても、此程度の事件であれば、先づ二三日位で片付くであらう事を、今度は其数倍以上に及んでゐる。といふのは毎日々々一つ事を繰返し繰返し訊問するのであるから、能率上からいっても余りに非能率的である。そこで私は考えた。成程そういふやうに長引かさなければならない場合もあるであらうが、此事件の如きは、それ程複雑したものではないばかりか、被告は何れも信仰深い人達で、決して悪人でない事は、一般人に比べて優るとも劣る筈はないのである。之は私が言ふのみではない、調官諸君も口を揃えて賞めてゐる。それだのに何ぞや、余程の重罪犯人でも取調べる如き行り方である。

そうして取調べの場合調官の胸に予め法に触れるやうな答弁をなさしむべく、仕組んでゐるとしか、思えないやうな訊問振りである。之は今度取調べを受けた私の部下全部が、口を揃えて言ふ処である。何よりも被告は如何程、事実有りの儘を述べても承知しない。それは御注文に当嵌まらないからであらうと思った。そうして訊問中、被告を怯びえさせ、兎もすれば絶望に導き、侮辱を浴びせては興奮させ、彼の手此手で責め立てる。勿論昔と違って、今は肉体の拷問は出来ないが、其代りとして、言葉による頭脳の拷問である。而も根気戦術によって、極度に疲れさせ、どうしても何等か罪になりそうな答弁をしなければ放さないといふやうな気構えだ。言葉の拷問は体的のやうに苦痛がないから、我慢がし易いので、真の悪人には都合がよいかも知れないが、普通良民には肉体に劣らない深刻な辛さである。特に法に暗い者や、気の弱い者などは、極度の不安恐怖に脅え、肉体と相俟って疲労困憊の極、霊肉共に去勢状態に陥り、大抵は自棄的となるのである。其結果今迄真実の答弁を固持して譲らなかった者でも到底頑張り切れないと諦め、一日も早く出たい一念も加はって、心ならずも迎合的答弁をせざるを得ない事になるのである。特に私の場合、老齢でもあり、教主の地位でもある関係上、多少の手心を加えられた点もあるにはあるが、部下に至っては定めしひどかったであらうと察せられるのである。

前述の事実によってみても、本事件は当局の計画的やり方としか思えないのである。何よりも私もそうであったやうに、被告の誰もが言ふのは、罪になりそうな事を言ふと御機嫌がよいが、そうでないと打って変って責めるので、作り事でも嘘でも言って、兎も角其場を逃れさへすればいいといふ気持になって了ったとの事である。処が調官は『嘘を言うな正直に言へ』と言ひ乍ら、御自分の方では実に物凄い程の嘘を言って引っ掛けやうとする。其一例として井上の語る処によれば取調べに際し『お前は斯ういう事があった筈だから、それを有体に話せ』と言はれたが、自分は全然知らないから知らないと言ふと、調官は『お前が言はなければ岡田を呼んで訊くがいいか』と言ふので、井上は明主様を呼ばれる事は、死ぬよりも辛いから、自分さへ罪を被れば、明主様を呼ばれずに済むと思ひ、調官の言ひなり放題すべてを是認したそうである。すると間もなく明主様が呼ばれたと言ふ事を知り、騙された事が分り、痛恨やる方なく泣いたそうである。

そうしておいて調官は、井上に対ひ『岡田が入ったので訊いてみたら、これこれの事を言ったから、お前も知ってゐる筈だ』と訊かれたが、自分はカマを掛けられたとは知らず、『明主様がそう仰有るなら、それに違ひないでせう』と言って肯定して了ったとの事である。そうしておいて今度は又私に対ひ『井上がこういう事実を白状したから君も肯定しろ』と言ふやうに、結局盥廻し訊問である。そこで私は『井上は平素から頭が非常に悪いから当にならない』と言うと『そんな事はあるもんか、君より頭はいい位だよ』と言うので、唖然として私は返す言葉はなかったのである。之等によってみても、嘘とカマ掛けと嚇しと根気とで順々に罪は作られてゆくのである。嗚呼何と怖るべき事ではなからうか。之を一言にして言えば、調官は取調事項を作り、吾々は答弁を作り、其やりとりで徒らに長い日数を費すのであるから、其結果は調官も被告も時間と労力を空費し、結局何等得る処がないのである。従って之等の国費を払はせられる納税者の負担は、蓋し浪費以外の何物でもない事にならう。

右の如く私は凡ゆる角度から、今度の事件を批判してみたが、それかといって吾々の方にも落度のない事はないが、それは全く法に暗かった為であると言ふ只それだけである。そうして今度の事件の眼目は、何と言っても脱税問題であらう。然し此脱税問題にしろ、大いに検討すべき疑義があると思うから、茲にかいてみよう。当時宗教法人日本観音教団の名の下に、宗教活動に専念してゐた吾々は、法律上宗教法人は無税と言う事になってゐたから安心してゐた。処が昭和廿三年十一日八日突如、小田原市にあった教団の代表ともいふべき、当時渋井総三郎氏会長の五六七会本部に、国税庁から家宅捜索に来て、帳簿一切を押収して行ったのである。その時予て経理士に一任してあった帳簿の内収入の分は出来上ってゐたが、支出の分はまだ半分しか記入されてゐなかったのである。何故そんな間抜けな事をしたかといふと、勿論法人は無税といふ安心感がそうさせたのである。処が税務官は支出の内ザット半分の未記入分は法規上個人所得と見做し、其分には課税するといふのである。それを聞き驚いて支出不明の分を色々釈明したが、帳簿に載ってない以上認める訳にはゆかないと、何等協調的態度に出でず、一方的解釈で勝手に取決めてしまった結果、課税は私及び渋井総三郎氏の二人に否応なしに、振り当てられたのであるから、実に不合理極まると思った。

何となれば、右は家宅捜索の時、半分の未記入が理由であったとすれば、今少し時日が経ってから国税庁が来たとしたら、帳簿は完備してゐるから、脱税問題は起らなかった筈であると、当時渋井氏は憤慨しつつ右の経緯を語ったのである。それから渋井氏は行政訴訟によって大いに争はうとしたが、そうするにしても税金は即時払はなければならないが、税額はどんなにしても三千万円を下るまいと推定したので、其様な巨額の金銭を一時に払ふとしたら、教団は潰れるより仕方がないといふ事になり、其訳を故長谷川弁護士に訴え、出来るだけ税額を負けて貰ふと共に、分割払ひを依頼した処、長谷川弁護士も大いに同情し、出来るだけ努力するから、一切自分に任せてくれ、必ず御期待に副(ソ)ふ確信があるといふので、渋井氏も一切を同弁護士に委せたのである。そんな訳でそれからは長谷川氏の言うがままに、金銭を渡したのは勿論である。処が渋井氏も十数年以前から信仰界に入り、長く社会と隔絶してゐたので、税の事など無関心、無智識になってゐた事である。而も事件後間もなく渋井氏は、三度目の脳溢血で倒れ、やむなく舎弟哲夫氏をして、此問題を担当させる事になったのである。此ような訳で一切は長谷川弁護士に委せてある以上、同弁護士がどのやうな方法をとるかと言う事など、関心の必要もなく又素人が口出しした処で、何にもならない、という訳で、渋井兄弟としては、只問題が有利に解決するのを希って待ってゐたばかりであった。

右の如く、税問題は同弁護士の努力によって、兎も角無事解決し(決定額 私の分一、○五○万円(前年度八○万円)渋井氏分七○○万円)納税も済んだのであるから、私はもとより、渋井兄弟、其他幹部も主なる信者等も安心し之に就ての問題など起る筈はないと、今日迄忘れてゐたのである。然るに何ぞや、検察当局は今回此問題を事新しく採上げて、吾々を留置し、頗る峻厳な取調べを行った事は、曩に述べた通りである。茲で改めて初めからの経過をよく考えてみれば、先づ最初国税庁が執った手段である。民主的今日の税法は、納税者とよく談合し、双方納得の上決める事となってゐるといふに拘はらず、それらの手段に出でずして、課税の根拠を早急に決定して了ったのであるから、全く不法行為といふべく、而も一年有余を経た今日、今度の事件の因となった以上、吾々は非民主的徴税法の犠牲者となった訳である。而もそればかりではない、最初国税庁から巨額の税金を課せられ、それを甘んじて受けたのが祟って、その額が規準となり、翌二十四年も本年も法人収入から無理に巨額の個人所得を仮定され、六、七百万の課税となり、私も金が無いから我慢して教団から借りて納税を済ましたに拘はらず、まだ足りないとして巨額の追加をされやうとしたが、本教の財政が許さず、目下交渉中である。

茲で今一度振返ってみるが最初課税の際、其儘応じれば教団潰滅の危機となり、その危機を免れんが為弁護士に委任したる処、弁護士の不徳行為から、何も知らない吾々に迄波及し、今回の事件発生となったのであるから、一体吾々の何処に罪があるのであらうか。成程、結果からみて一応贈賄の容疑を受けられるのは、止むを得ないとするも、実際上からみて何等罪はない事と思ひ、起訴などは夢にも思はなかったのである。全く吾々は非民主的政治に追ひかけられつつ、漸次被害は増大しつつあるのであるから、何と恐るべき悪政ではなからうか。言う迄もなく始めから吾々は脱税の意図など更になく、而も宗教家たる以上、法を犯す意志など毛頭ありやう筈がないので如何に忌はしき罪名は被せられた今日と雖も、何等疚しい点はなく、俯仰天地に愧じざる心境にあるのである。

而も本事件によって、本教が如何に大なる被害を蒙ったかを書いてみるが、先づ吾々に対し、数十日に及ぶ肉体及精神的苦痛はもとより、忌はしき罪名まで被せられ、記者の作為かどうかは知らないが、各新聞挙って針小棒大的デマ記事を、デカデカと書いたりして、社会的信用の失墜は蔽ふべくもない。特に三十万信徒の精神的打撃も甚大なるものがある。それらによって本教進展の勢ひは挫かれ、アレ以来教線は何分の一に縮少され、収入に於ても同様著減し、本山の造営等も手控へるの止むなきに到ったのである。之にみても、此痛手が治り、信用を挽回し、再び立直る迄には幾歳月を要するか、予測はつかないのである。而も無実の罪によって、これ程の被害を蒙り乍ら、どこへ訴える事も出来ず、泣寝りに終らざるを得ないとしたら、日本の政治はこれで可いのであらうか、本来ならば国家が吾々に謝罪し、適当な賠償をすべきが至当であると思うが、実際上そういふ訳にも行くまい。とすれば吾等は一日も早く、真の民主政治下の国民として、何等権力者の脅威のない安心して住める、社会の実現を切望してやまないものである。

そうして、此事件の原因は那辺にあるかを検討してみる時、考える迄もなく、現在の政治機構の不備は勿論、公務員が権力を濫用し人民を奴隷視し、偶々役人の過りによって人民が迷惑を被る事あるも、雲煙過眼視し、何等責任を負はないとすれば、これが果して民主政治のあり方であらうか。当局者から、責任ある答弁を、聞きたいものである。そればかりではない。私初め、部下四人が全部起訴となり、何れは公判によって、黒白を判定する事にならうが、最初から結末に至る迄の、弁護士の費用は勿論、吾々が受けた、有形無形の損失の甚大なる事は、前述の通りである。此事件について私は、無論不起訴と予想してゐた。何となれば、起訴としての基本的資料である、調書は曩に述べた如く、杜撰極まる架空的なもので、調官と雖も之を知らない筈はあるまいからである。然し乍ら部下の被告の内一人だけは、軽犯罪のあった事は、確かに認め得るから、其者に対しての起訴はやむを得ないとするも、その他の者に至っては起訴の理由は、実に薄弱処か全然ないと言ってもいい。にも係はらず、十把一紮的に起訴にしたのであるから、乱暴と言うより外に言ひやうがないと思ふ。今日の裁判は、罪を判定する根拠として、物的證拠か、證人の證言かであると聞いてゐる。処が前述の如く起訴の根拠は、苦し紛れにデッチ上げた、調書以外何物もないのである。何よりも八十人で家宅捜索しても、何等物的證拠が出ないばかりか、遂に一人の證人も現はれないにみて明かである。

以上の如く、事実ありのまま、事件の全貌を出来る丈詳細にかいたのであるが、此記録が民衆の福祉に対し、些かなりとも役立ち得るとすれば、今回吾々が嘗めた苦難も、無駄ではなかったと、心を安んじ得るのである。

最後に、吾々宗教家として一言したいのは吾々は、今日迄、如何に社会から悪を除き、善を鼓吹して来たかは、本教に触れる者の等しく認める処である。それ故自らも不正を戒め、正しき道を踏み、充分誤りなきを期して来たに拘はらず、今度の如き受難を蒙ったといふ事は、甚だ不思議に思えるが、よく考えてみる時、全く深甚なる神の意図でなくて何であらう。即ち、吾等をして、将来救世の大業に役立たしむべく、心魂を磨かせ給ふ為の、一大試練に外ならないと信ぜざるを得ないのである。何となれば、此数年来数々の苦難を嘗めさせられた経験によってみても、神は社会の凡ゆる暗黒面を知らしむべく、そうされ給ふたと思ふのである。今日、我国の文化面が、外容は如何に進歩せる如く見ゆるも、進歩は物質的外形のみであって、内容に至っては自由民主々義とは口先ばかりで、殆んどその実は見られず、道義は反って封建時代よりも低下し、殆んど百鬼夜行の状態である。政治家も指導階級もその日暮し的で、何等の定見も信念もなく、民衆は希望を失ひ、生きんが為に喘ぎ苦しみつつある現状は、到底正視出来ないものがある。偶々国家社会を憂ふる者あるも、時代遅れとして相手にされず、誠の者は軽蔑され、善人は法に引っ掛り、悪人は法をくぐるといふ事実をみては、悪人の殖えるのも当然である。正直者は馬鹿をみる、とよく言はれるが、吾々と雖もそれと同様で、今回の事件によって、銀行員も公務員である事を、初めて知った位の迂闊さで、自分乍ら呆れたのである。

以上の如き、暗黒無明の世相は、神明の照覧ある限り、決して長く続く筈はない。吾々が叫び続けてゐる、二千年前大聖基督の喝破した、最後の審判は、今や目前に迫れりとは徒らなる空言でない事は、信ずると信ぜざるとに拘はらず、近き将来神は示し給ふであらう。其時悔ひるも、既に遅しといふ事を警告して、筆を擱く事にする。

(法難手記 昭和二十五年十月三十日)